①「素直」②「天秤」③「納得」 – 3ステップのススメ

何年もテキトー生活をしてるとそれなりに気づく事がある。

その中でも改めて大切だと思ったのは、「自分に素直に生きる」という事だ。

なんだか小学生みたいな内容を言っている気がしなくもないが、これ実践するのが難しい為に、「人生の無気力さ」が生まれてしまうのだと思う。

例えば、働いていると、上司や取引先に逆らう事は難しい。

理不尽な出来事に対しても、「申し訳ございません」と謝らなければならない場面も存在するだろう。

思ってもいないような行動や発言をしていると、だんだんと心が死んでいく。

なんというか、生きている感覚が失われていくのだ。

「社会で生きる」には「本音と建前」を使い分けてやっていく必要がある。

これが我々の「生」から輝きを奪っているような気がしてならない。

例えば、野生の動物たちは思うがままに生きている。

ライオンは生きる為に全力で獲物を狩るだろう。

「本当は嫌だなあ」や「申し訳ございません」など考えていないはずだ。

かといって、それならば我々も本能に従って生きればいいのか?という訳ではない。

「気に入らない奴は殺してもいい」

そんな世の中であったら、自分はここまで生きるのは難しかっただろう。

もちろん、現代には、現代の苦しみがある。

ただ、基本的に「社会が存在する時代に生まれた」というのは、とても恵まれている事であるはずだ。

さて、野生を失い、社会に生きる我々が充実した人生を得るはどうすればいいのだろうか?

自分が勧めたいのは

① 素直

② 天秤

③ 納得

という3ステップを常に意識する事である。

ちょうど、先程の話に当てはめてみよう。

① 素直な気持ちを吐き出す

「社会で生きるのはだるいことが多いな」

② 一方的な側面のみを見るのではなく、多面的に捉えて天秤にかける

「でも、自分がここまで生きてこれたのは、食料豊富で、治安や医療がしっかりしているおかげだし、こうやって文章を書けるのも教育のおかげだよな」

③ 納得

「現代には現代の苦しみはあるけれど、社会が存在する時代に生まれた事は自体は恵まれているよな」

…こんな感じであろうか。

(もちろん、社会の理不尽な事に関してはきちんと意見を述べていくべきではある)

思うに、人生には「納得」が必要なのだ。

「納得」できたのなら、死ぬ事さえ不幸ではないかもしれない。

例えば

「難病の息子に自分の臓器を移植すれば、息子は助かるが、自分は死んでしまう」

こんなシチュエーションだったらどうするだろうか?

ここで移植を選択し、死んでしまった親は不幸なのだろうか?

心残りはあろうとも、決してそうではないはずだ。

もう少し、身近な例で考えてみよう。

あなたはタクシー乗り場の先頭に並んでいたとする。

そこで突然、知らない人に割り込みをされてしまった。

そんな事があれば

「いやいや、それはおかしいだろ。やっぱり、気に入らないヤツは殺してもいいべきだわ」

と考えてしまうかもしれない。

だが、もし、目の前を歩いていた妊婦さんが突然に産気づいてしまったとしよう。

そうしたら、あなたは「早く病院へ!」と構わずタクシーを譲るはずだ。

事実としては「他人に待っていたタクシーを先に乗られた」という事に変わりはない。

ただ「納得感」によって、得られる結果は大きく異なってくるのだ。

それでは、「素直」→「天秤」→「納得」の3ステップについて、他の具体例も挙げていこう。

例えば、自分は現在、ちょっとしか働かないような低コスト生活をしている。

毎日同じようなものばかり食べていると

「焼肉や寿司が食いたいなー」

と思う時もある。

ただ、自分がのんびり暮らせているのは「時間」と「お金」がトレードオフの関係にあるからに過ぎない。

① たくさん働くけど、それなりに贅沢できる

② あんまり働かなくていいけど、質素な生活

それだったら断然後者がいい。

そんな原点に立ち返ると、あんまり贅沢な暮らしができない事にも納得できる。

(たまにはいいものも食べてますよ)

冒頭で挙げた「社会人の理不尽さ」はどうだろう。

週5で朝から晩まで働き、嫌な上司や取引先にペコペコするなんて、とてもじゃないが正気ではやってられない。

多くの人は「家族の為」という「納得」を抱えているのかな、と思う。

日本人は「背負うのが立派な人間である」のような価値観を持っている。

そのような在り方を否定する訳ではないし、確かに「他人の為に頑張る」というのは、時に本来以上のエネルギーを発揮するかもしれない。

だが、心が折れてしまった場合が恐ろしい。

「背負う」、「信念を持つ」、こういったものは美徳にされがちだが、本質はリスキーな行為であると思う。

そのまま抱えていたものに潰されてしまうようなパターンも少なくないはずだ。

経済がイケイケだった頃はそれが通用したのかもしれないが、このご時世ではハードすぎる。

もっと新たな生き方や価値観を持つ必要があるのではないだろうか。

自分はまともに働けないけれど、もし元気が有り余っているなら、セミリタイアやFIREを目標にして、理不尽な事にも納得していくかもしれない。

あと45年も定年まで労働を…と考えると心が折れてしまうかもしれないが、ゴールが見えているなら頑張れる部分もあるだろう。

もちろん、このまま働いてたら死んでしまう、という人は無理をせず、もっとテキトーに暮らすべきだ。

「信念を持たないのが『信念』」という人生のバグ技は強い。

自分の気持ちを無理に抑え込むと、イライラや不満が余計に溜まり込む。

まずは素直に気持ちを吐き出す事が大切だ。

それを認めた上で、どうするか自ら決定していく事が、「納得」のできる人生に近づくのではないだろうか。

最後に一休法師(とんちで有名な一休さん)のとあるエピソードを紹介して終わろうと思う。

一休法師とその弟子が街を歩いていたところ、一休が女性を見かけて「綺麗な人だのぉー」とつぶやいたそうだ。

その後、寺に戻ると、弟子が「先程の発言は仏道を志すものとして、いかがなものでしょうか!?」と一休法師を問い詰めた。

すると一休はこう答えたという。

「え?そういえば、そんな発言もしたかもしれないけど、そんな気持ち(煩悩)はその場に置いてきたわ」

つまりは、自分の気持ちを素直に認めた上で、ドライに対処していく。

そんなシステムを心に持つ必要があるのだ。

(一休がただの屁理屈スケベという可能性もある)

(確かこの本で読んだような)

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