久しぶりに釣りに行った

今日は釣りをした。

釣り。やっぱりいいな。

自分は基本的にインドア派だけど、釣りと折り畳み自転車のテキトー旅(スーパー銭湯とかネカフェに泊まるやつ)は好きだ。

狩猟採取生活じゃないけど、現代社会のシステムの中で生かされてるのを僅かな間だけ忘れることができるというか、地に足がついた人間の営みを体験できるような気がする。

(とか言いつつ、竿や仕掛けは金で購入しているのだが)

前日に仕掛けの準備をして、早起きして、日差しを浴びながら竿を振って、魚を釣って、ナイフで締めて、血抜きをして、家に持って帰って、鱗と内臓を取って、三枚おろしにして、ようやく食べることができる…、というのが本来の食事であるのだ。

手がボロボロになるし、疲労感も強いけれど、生きてるなーって感じがする。

でも、毎日が狩猟採取生活だったらそれはそれでだるい。

せっかく現代に生まれたのだから、社会と自然の良いとこ取りのような生活がしたいものだ。

本当はイナダ(小さいブリ)をルアーで釣りたかったのだけど、全然ダメだった。

自分がルアー上手くないっていうのもあるけれど、周りの人達も釣れてなかったので、そもそも回遊して来なかったのだと思う。

まあ、釣れない釣りもそんなに嫌いじゃない。

自分のやってるルアーはライトショアジギングと言って、その名の通り、「岸(ショア)から軽い(ライト)メタルジグを投げる釣り(ジギング)」というものだ。

メタルジグとは鉛で出来た擬似餌のこと。

これを小魚に見立てて、フィッシュイーター(小魚を食べる魚、シーバスやイナダなど)を狙うという訳である。

解説が長くなってしまったが、つまり、ライトショアジギングで釣れない時には、延々と「竿を振ってジグを飛ばし、リールを巻いてアクションをし、手元に戻ってきたらまた投げる」という動作を繰り返すということだ。

こうなると一種の精神修行というか、トランス状態に突入するというか、「目標をセンターに入れてスイッチ…、目標をセンターに入れてスイッチ…」みたいな気分になる。

何故か分からないが、こういった「個人的な苦行」は別にそんな嫌ではない。

なぜ労働はダメなのか。人と関わることに強くストレスを感じてしまうのだろうか。

しかし、長時間続けていれば、精神修行も流石に飽きる。

後半は穴釣りに竿を持ち替えた。

穴釣りとは、テトラポットの合間や防波堤の繋ぎ目の隙間に、仕掛けを落とし込んで、根(岩礁地帯や障害物の隙間)に住んでいる根魚(カサゴなど)を狙う釣りのことである。

穴釣りは簡単だ。初心者にもおすすめしたい。

根魚はすぐにエサに喰らい付くので、「魚のいる場所に適切にエサを落とせるかどうか?」がほぼ全てと言ってもいい。

逆に、エサを落としてみても反応が無いのだったら、トライアンドエラーで別の穴を探る必要がある。脚を使う釣りなのだ。

今回はカサゴが10匹ほど釣れた。

リリースしたものも含めたら、15匹ぐらいだろう。

根魚は根に潜っている為、回遊魚のように漁で大量捕獲することができない。

その為、高級魚であり、その味も非常に美味なのである。(というか、その美味しさと獲りにくさの需要と供給から高価格なのだ)

簡単に高級魚が味わえるというのは嬉しい。姿揚げに味噌汁、煮付けやアクアパッツァなど、なんでもうまい。

機会があれば穴釣りにチャレンジしてみてほしいが、注意点が2つある。

まず、1つ目にテトラポットに落ちたら死ぬこと。

やばそうなテトラポットには乗らないで、長い竿で対応しよう。ライフジャケットも必着だ。

2つ目は小さい根魚とお腹の膨れた子持ちはリリースすること。

根魚は大きく成長するのに5年以上かかると言われている。必要以上に獲り過ぎるとその一帯で全滅してしまうのだ。

自然の為に…などと言うと綺麗事っぽいが、次に来た時にも魚を釣りたいのならば、当たり前だが、環境には気を使うべきだろう。

持ち帰ったカサゴは鱗と内臓を取って冷凍した。

ゆっくり食べていくつもりである。

日頃から考えてしまうのは、「いただきます」とか「ごちそうさま」なんてただのエゴではないだろうか、ということだ。

今日に関しても、自分のレジャーによって殺された魚たちはたまったものではないだろうし、自分が上位存在(?)に食われるとしても、「感謝してくれるならオッケー」とは全然ならない。

強者による一方的な言い訳に過ぎず、ひどい自己満足である。

とはいえ、自分は「いただきます」とか「ごちそうさま」をエゴだと自覚した上で、これからも思ったり言ったりしていこうと思う。

自然に対するリスペクトというか、弔いというか、今回の場合で言えば、釣って締めて(頸椎にナイフを突き刺すのである)食べるという行為を通じて、そういうサイクルの中で生きてるんだよなー、という実感を保っておきたい。

農業や漁業など、自然に関わる仕事をしている人たちは、都会の人々に比べて死に対する抵抗が低い、みたいな記事を以前に読んだ気がするが、日常から自然の摂理を体験していると、自身の死も自然と受け入れられるんだろうな、と思う。

そういう感覚を養えるという意味でも、釣りはオススメだ。

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