寝そべり族マニュアル – なるべく働かないで生きていく | はじめに

働きたくない。かといって、死にたくもない。それならば、最低限だけ働いて生きていけばいい。

僕、ゆるふわ無職は大学を卒業してから3年と半年、ニートとフリーターを行き来するような生活を送っている。一般的に、無職や非正規労働者というのは、ネガティブなイメージが強いかもしれない。何か理由があったり、仕方なくやっているように思われがちである。けれども、僕は望んでこの生活をしている。望んでいるというと少し語弊があるかもしれないが、自分に適しており、無理のないライフスタイルであるということだ。

「それが当たり前だから」という理由で、人生の半分以上をやりたくないことに費やすのはなんだかおかしい。目覚ましに叩き起こされ、満員電車に押し込まれ、嫌な上司や顧客に気を遣い、やりたくもない労働にくたびれた後は、飯を食って風呂に入って寝るだけ。そんな週5の8時間労働を終えたとしても、土日は「月曜日が嫌だなあ」と憂鬱な気分で過ごす。そんな生活を続けながら生きていても、しんどいだけであるように思う。もちろん、適応できる人もたくさんいるのだろうけれど、僕のように「やってられない」という人も少なくないはずだ。

「社畜」というネットスラングを聞いたことはないだろうか。これはサラリーマンに対する単なる自虐や揶揄のように思われているかもしれないが、資本主義社会における1つのリアルである。僕らは国や資本家の為にせかせかと「金の卵」を生み出すニワトリであり、社会と言う名の養鶏場に詰められ、必要以上に働かされ、必要以上に消費をさせられているのだ。

なぜ消費をするのか。それは多くの場合、ストレス発散と時間短縮の為だろう。仕事が中心の生活になると、「生きる為に仕事をする」のではなく、「仕事をする為に生きる」という状態になる。そして、お金を雑に使ってストレスを発散したり、日頃から外食やコンビニ弁当の食生活を続けたりなど、本当に大切であるはずの「肉体の健康」と「精神の平穏」を蔑ろにしてしまうのだ。

別に、一般的なサラリーマン生活を否定したい訳ではない。たくさん稼いで、たくさんお金を使い、この世に溢れる娯楽をエンジョイするというのも、現代社会における1つの正解だろう。しかし、そのような生活が全員にとって正しいとは思わない。人には人に適したライフスタイルやキャパシティが存在しており、全員を同じ型に嵌めようとしたら、歪んで壊れてしまったり、おかしくなってしまう人が現れるのも当然であるはずだ。

そして、僕は鬱っぽく、疲れやすく、持ち合わせるエネルギーが少ない典型的なタイプの人間である。フルタイムで働くことも不可能ではないが、そんな生活を定年まで続けるのなら、文字通り「死んだ方がマシ」な状態になってしまう。「働きたくないけれど、死にたくもない」ということで、現在は週3(5時間)だけバイトで働き、月6万円程度の収入を得て生活をしている。一人暮らしでは厳しいが、実家や知人の家に居候させてもらうことによって、今のところなんとかやっているという訳だ。

もちろん、贅沢はできないけれど、別につらいと思うこともない。そもそも、過剰な労働によるストレスがほぼ無いので、お金によってそれを発散しようと思わないのである。それに、現代はインターネットによる娯楽がとても豊富だ。ネットサーフィンでいくらでも時間を潰すことができるし、このように文章を発信をして楽しんでみるのもいい。

よく思うのは、快楽を追求することに終わりはないけれど、ある程度、苦痛を避けることは可能であるということだ。つまり、快楽を追求するのではなく、苦痛を避けるというのが僕のスタンスなのである。特別な何かが無くても、ゆっくり寝れて、のんびりと過ごすことができるのならば、人間はそれなりに幸福であるのだ。

以上のように、僕はなるべく働かない生活を送っているのだが、このライフスタイルをどのように名乗ればいいのか迷っていた。最初に述べた通り、ニートやフリーターと言うと「本人が望んでいない」「脱出するべき状態」であるようなイメージが強いのである。

ーーーニートでもフリーターでもない、時代に対応したゆるい生き方のモデル名称が欲しい。

そんな時、ネットニュースで出会ったのが「寝そべり族」だ。中国の若者を中心に発生したムーブメントであり、記事を読んでみると、まるで自分の考えが書き起こされているようであった。翻訳とはいえ、ネーミングもなんだかいい。さっそく概要を見てみよう。

寝そべるという意味の「躺平(タンピン)」がいま中国で最新の流行語になっている。だらっと寝そべって、何も求めない。マンションも車も買わず、結婚もせず、消費もしない。 最低限の生存レベルを維持し、他人の金儲けの道具や搾取される奴隷になることを拒絶する。それが「寝そべり」族。

中国の若者に広がる「寝そべり族」(https://antenna.jp/articles/13384395)

中国の若者の間に「寝そべり主義」が流行していると台湾紙「自由時報」は伝える。彼らは結婚せず、子供も持たず、マンションも車も買わず、起業もしない。なるべく仕事の時間を減らし、最低限の生活をする。そして誰も愛さず自分の為だけに生きる。

あるネットユーザーが、「寝そべりは正義だ」という文章を発表し、寝そべりブームを起こした。作者はいまや「寝そべり学の先生」とされている。彼は文章で「2年も仕事をしていないが何も間違っているとは思わない。1日2食にすることで食料問題は解決した。消費は毎月200元以内に抑え、お金がなくなれば1年のうち1~2ヵ月仕事をする。ふだんは家で寝そべり、外で寝そべる。猫や犬のように寝そべっている」

「ずっと遊んでいることが間違っているとは思わない。ストレスは周囲の人と自分を比較することと昔からの伝統的観念からくるもので、それらはいつでもあらわれる。毎日のニュースは芸能人の恋愛や妊娠といった類のもので、まるで誰かがある考え方を皆に強制しているかのようだ。

これまでは人の主体性を重視する考え方が存在しなかった。ならば私は自分で自分の考え方を作り出す。寝そべることは私の賢者の行動で、寝そべっているときだけが、人間が万物の尺度たりえるのだ」

中国の若者に広がる「寝そべり族」(https://antenna.jp/articles/13384395)

フランスメディア「rfi」中文版によると、不平等感の深まりと生活コストの上昇で伝統的な成功目標が遥か遠く手の届かないものになってしまったため、一部の若者たちは最低限の仕事をするだけで、両親の世代のようなアグレッシブさをもたなくなってしまったのだと伝える。

寝そべり主義は社会に対する憤りが多少含まれていたが、それは想像以上の共鳴を呼んだ。「寝そべり」についての説明はさまざまだ。立ち上がれない、しかし跪くこともしたくない、だから寝そべるしかない。

生活コストが高すぎる、ストレスが多い、マンションも物価も高い、仕事は探せない、結婚して家庭をもつなどもってのほか。しかし、自分の人格と尊厳を捨てることはしたくない。

だから残されたのは、寝そべって最低限の生存状態を維持すること。寝そべりは一種の無力感、一種の不屈さの表れである。検査技師の王(24)は、4ヵ月の就職活動に疲れ果てた。「毎日就職サイトを見て履歴書を送っていたけれど、まるで大海に瓶を投げ入れるかのようだった」

彼は仕事を見つけたが、その経験は彼に辛い記憶を残した。同級生が親の会社に入ったという噂を聞いた時、彼は寝そべりという言葉に共感した。

「社会に負けたから、ただもっと気楽な生活を送りたいだけだ。寝そべりは死を意味するのではない。仕事はする、ただ過度に頑張りすぎないだけだ」

同じく人事部で働く林(24)はこう「rfi」に語っている。

「寝そべりが人々の心を掴んだ。若い世代は車やマンションを買い、結婚して家庭を持つという人生の勝者になるのは不可能だ。だから自分の目標を下げ、欲望を少なくすることを選ぶ」

自由業のルーシー(47)もこの考えに同意する。「もし基本的な生活に満足できるのなら、よりリラックスした方法で生活することはとてもいいことじゃないの?」

中国の若者に広がる「寝そべり族」(https://antenna.jp/articles/13384395)

とても同意できる内容である。経済が上がり調子であったときは良かったのかもしれないが、今は真面目に生きていても、あまり恩恵が得られない時代であるように思う。国やマスコミが作り上げた、「正社員になろう」「結婚しよう」「子供を作ろう」「家を買おう」「車を買おう」という消費的な価値観。「そうするのが普通で、そうではない人は恥ずかしい」という同調圧力。搾取によって政治家や資本家のみが私腹を肥やし、経済の停滞が続いている国々では、それらの追い込みにも限界が来ているのではないだろうか。

世界各地でセミリタイアやFIRE、寝そべり族などが流行しているのを考えると、飽和した資本主義において人々が求めるのは「時間的な自由」を得ることなのかもれない。モノの豊かさや社会的地位を競い合うような、奴隷の鎖自慢の時代は終わりに向かっているのだ。

続けて、別の「寝そべり族」記事を読んでみよう。

必死で働き、結婚して子どもを持つ――。一世代前まで中国ではこれが成功の道のりとされてきた。一党独裁には問題も多いが、そうした権威主義体制の下で多くの人々が貧困から抜け出せたのだから、独裁のデメリットは必要悪と考えられていたわけだ。

ところが、労働時間は長くなり、急速に上がる住宅価格に所得の伸びが追いつかなくなる中、中国では多くの若者がある不安を抱えるようになった。自分たちは、親の世代よりも暮らし向きが悪くなることを経験する初めての世代となるのではないか、という不安だ。

そして若者は中国で長く維持されてきた繁栄の物語を拒む(つまり「寝そべる」)ことで、世の中に反抗するようになったのである。

駱さんのブログ記事は検閲によって削除された。当局が掲げる経済的な野心に対する侮辱と見なされたためだ。「寝そべり」は標準中国語で「躺平(タンピン)」と言うが、中国のインターネット上ではこの言葉に言及することが厳しく制限されている。当局からは、国家の未来のために必死で働くよう若者に促す対抗プロパガンダも流されるようになっている。

「長時間労働で自分の感覚がマヒしていくような感じがした。機械みたいに。それで仕事を辞めたんだ」。駱さんは取材にそう語った。

中国「寝そべりの達人」が手に入れた理想の生活(https://toyokeizai.net/articles/-/440519)

「寝そべり」は、結婚せず、子どもも持たず、定職に就かず、家や車といった物欲を手放すことを意味する。当局が国民に求めているのとは正反対の生き方だ。だが、丁利昂さん(22)はそんなお上の意向に縛られたりはしなかった。

3カ月近く「寝そべり」を続ける丁さんは、これを「静かな抵抗」と考えている。大学は3月に最終学年で中退した。親が選んだコンピューター科学の専攻が好きになれなかったためだ。

大学を中退すると、貯金を使って深圳市で部屋を借りた。普通の事務仕事を探したが、どの求人もたいていは長時間労働が避けられないことに気がついた。「安定していて(終業後に)くつろぐ時間を確保できる仕事に就きたい。でも、そんな仕事はどこにある?」と丁さん。

若者は好きな仕事のために一所懸命働くべきだが、中国の多くの雇用主が求める「996」、つまり朝の9時から夜の9時まで週6日も働くのはおかしいと丁さんは考えている。仕事探しに絶望した彼は「寝そべり」こそ自らの進むべき道だと判断した。

中国「寝そべりの達人」が手に入れた理想の生活(https://toyokeizai.net/articles/-/440519)

駱さんは「寝そべり」ブームを引き起こした自身の投稿を、「社会の底辺で暮らす1人の男の内なる独白」と呼んだ。

「『寝そべりは恥』と言う人間こそ恥知らずだ。僕にはスローなライフスタイルを選ぶ権利がある。社会に対して有害なことは何もしていない。僕らはブラックな職場で1日に12時間も働かなければいけないのか。それが正義なのか」(駱さん)

今は家族と同居し、哲学書を読んだり、ニュースを見たり、運動したりして毎日を過ごしている。ミニマルに暮らし、「自由に考え、表現する」ことのできる、まさに理想のライフスタイルだという。フォロワーから「寝そべりの達人」と呼ばれるようになった彼は、フォロワーにも同じ道を選ぶように促している。

中国「寝そべりの達人」が手に入れた理想の生活(https://toyokeizai.net/articles/-/440519)

国は違えど、労働者層として共感できる言葉が多い。先ほどの記事より、具体的な人間らしさを感じるものとなっている。特に、中国は政府による指導や規制が著しい。激化する受験戦争や社会競争の反動としての側面も大きいのだろう。そういう意味では、日本という国は「生かさず殺さず」の具合が絶妙なのかもしれない。

……このぐらいで寝そべり族の概要は掴んで貰えただろうか。これから自分の生活も、寝そべり族を名乗ろうと思う。

最近、日本ではセミリタイアが流行の兆しを見せているが、寝そべり族のような生き方をする人が増えてもいいように思う。この国の価値観は極端過ぎるのだ。ブラック労働で身も心も困憊して死んでしまうこともあれば、社会から落ちこぼれてニートになり自責の念から死んでしまったりもする。もっと適当な生き方が許されてもいい。死んでしまうぐらいだったら、必要な分だけ働いてのんびり暮らせばいいのだ。

連載記事のタイトル『寝そべり族マニュアル』は、90年代のベストセラー『完全自殺マニュアル』のオマージュである。読んだことがある方は分かるかもしれないが、あの本はグロ系ナンセンス本ではなく、厭世系サブカルチャー本だ。著者の鶴見氏は積極的に自殺を勧めている訳でもなく、「生きていることに意味はない」「ブロイラー(肉用鶏)のように生かされているだけ」「適当なところで人生を切り上げてしまってもいい」「勝手に生きてもいいし、勝手に死んでもいい」と述べていることからも分かるように、「命を大切にしよう」という偽善的な閉塞感に風穴を開けるものであったのである。「いつでも死ねる」というワイルドカードを心に持つことによって、気楽に生きようという優しいメッセージであるとも言えるだろう。

次回からは個別の内容に移るが、この『寝そべり族マニュアル』も、そのようなネガティブな優しさによって、救われる人が多い連載になれば幸いである、と考えている。

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