芸術家タイプ(INFP型)の人は”アート”に生きればいい

「あなたは芸術家タイプです!」

「………」

“適職診断”をやったことはあるだろうか。

性格アンケートに答えていくと、自分に合った職業を教えてくれるというものだ。

自分もニート初期にやってみたのだが、結果は「芸術家タイプ」であった。

どうやら、”クリエイティブな仕事”が向いているらしい。

具体的にはアーティスト、デザイナー、ライター、カウンセラー、etc…であるそうだ。

しかし、この芸術家タイプとは「社会不適合者」をオブラートに包んだ表現だと言われている。

大まかな特徴は以下の通りだ。

・穏和で、感受性豊か。思慮深い。

・内向的でマイペース。自分の世界に生きている。

・理想主義者(理想を追求する人)であり、精神的美意識が高く、哲学や芸術に対する追求力を持つ。

なんだか良さげに聞こえるが、ぶっちゃけて言えば「繊細でメンタルが弱く、理想と現実のギャップに挫折しやすい」という事だ。

そんな特性を持っていると、社会の荒波でやっていくのは難しいのだろう。

インターネットを見ている限りでは、ニートの殆どが「芸術家」と判断されているように感じた。

ここまで多いと、もはや集団アーティストである。

また、芸術家タイプは「(16分類の中で)年収が最も低く」、「自殺率が最も高い」らしい。

踏んだり蹴ったりが過ぎる。

「芸術家タイプ」は実際に創作や表現に取り組んでいる(取り組んでいた)人々も多いはずだ。

だが、シビアな話をすると「芸術家に向いている」と「芸術の才能を持っている」は違う。

本当に何かしらの才能を持っていれば良いのだが、それでさえ「芸術で食っていける」のはひと握りだ。

そのような結果、「(抜きん出た)才能の無い芸術家(タイプ)たち」がこの社会では燻っていて、生きづらさを感じていたり、ニートになってしまったりしているのだろう。

我々はどうすればよいのだろうか?

このまま貧困に喘ぎ、自死を待つのみであるのだろうか?

それでも自分は「芸術家タイプ」の存在を肯定していきたい。

「社会不適合者」だっていいじゃないか。

自分を歪めてまで社会に適合する必要なんてない。

更に言ってしまえば、「穏和で思慮深く、理想を追求するような人々が生きづらい社会」の方がなんだか間違っている気がする。

全てに折り合いを付けてやっていくのは難しいかもしれないが、「芸術家タイプ」に対して、自分が提案したい”エッセンス”は以下の3つだ。

① いろんなことをやってみる

② やりたい事を人生の中心に据える

③ “アート”な生き様を目指す

順番に見ていこう。

① いろんなことをやってみる

「自分には何の才能もない…」

たまにそんな事を言う人を見かけるが、本当だろうか?

この世にはまだ体験していないありとあらゆる文化があるはずだ。

義務教育などで行ったメジャーな科目のみで自分を評価しすぎなのではないだろうか。

ちょっとでも興味があることにはトライしてみるといい。

全く興味のないことを渋々やってみるのもいい。

もしかしたらとんでもない才能が眠っている可能性があるかもしれない。

ダメだったら次に行けばいいだけの話だ。

むしろ、「いろんな事を少しずつやった」という経験からオリジナルの表現が生まれるかもしれない。

「◯◯の才能がある」と断言する事はできないが、芸術家タイプである以上、「好きなものに努力を惜しまない」という才能は間違いなく存在するはずだ。

何かしら”生きがい”のようなものを見つけてみてほしい。

個人的には「マイナーな文化を1週間ずつ学べる合宿所」のような施設があったらいいな、と思っている。

2〜3年ぐらい滞在したい。

② やりたい事を人生の中心に据える

「ベーシックインカムがあれば、毎日好きな事ばかりして過ごすのに…」のような意見をたまに見かける。

ベーシックインカムの実現は難しいかもしれないが、類似したライフスタイルとしては「必要最低限のバイト+残りをやりたい事に注ぎ込む」を挙げたい。

自分も週2〜3のバイト生活を送っており、客観的にはただのフリーターであるのだが、どちらかと言えば「労働健康体操(清掃のバイト)をしつつベーシックインカムを貰っている」のような感覚に落とし込んでいる。

残りの時間でゴロゴロ寝てたり、こんなブログを書いたりしている訳だ。

もちろん、デメリットも存在するので、全ての人にバイト生活をオススメはしない。

しかし、そのような選択肢を頭に入れておくだけでも、少しは気持ちが楽になるだろう。

正社員だと時間と体力的に厳しいかもしれないが、つまりは「労働」を人生の中心にしてしまうのではなく、「自分のやりたい事」を中心に据えるのだ。

「好きなもの」や「熱中できるもの」 がある人はそれを「生きる意味」にしよう。

かといって別に「作品を作れ!生産的な活動をしろ!」と言っている訳ではない。

寝るのが好きならひたすら寝ていてもいいと思う。

どんな超大作を完成させ、国宝認定されたとしても、いつかは作品も朽ち果て、栄光も忘れ去られてしまうのだ。

結局は「心身の充実度」を目安にするしかないのである。

あとは創作や表現を副業にしてしまうのもいい。

もしかしたら、本業を越えてそれだけでも食っていけるようになるかもしれない。

だが、ここで「お金を稼ぐ事」を目的としてしまうと、「大衆ウケ狙いのシャバくてダサいもの」になってしまうはずだ。

これでは人生の中心にやりたい事を据えた意味がなくなってしまうし、自身の美意識もそれを許さないだろう。

やるならあくまで「自分が本当に表現したい事」で「ニッチでも”分かる人”には支持される」ような内容でいくべきだ。

この殺伐としたブログも一部の物好きがテキストを読んでくれるのなら、それで充分なのである。

③ “アート”な生き様を目指す

そもそも「モノ」だけが芸術の対象であるのだろうか?

自分は「人生に美学を持ち合わせること」や「ライフスタイル」でさえ芸術の対象になるはずだと考えている。

例えば、「人に優しくする人生」を目指すのも充分に芸術だ。

そんな在り方が既に美しい。芸術家タイプには同意してもらえるのではないだろうか。

ライフスタイルで言えば、例として「小屋暮らし」を挙げたい。

欲に満ちた俗世から離れ、質素な生活と穏やかな時間を過ごす。現代でそのような選択ができる人はなかなかいない。

生き様がアートかつクールだ。

これらのように「芸術家」だからといって必ずしも創作を行う必要はない。

人生そのものに美学を持ち合わせ、その生き様をアートそのものにしてしまえばよいのだ。

社会では非効率と言われたり、理解を得られないかもしれないが、それでいい。

自身が「納得」できること、そして「美しい」と思えることが一番重要なのだ。

まとめると、「芸術家タイプは無理に社会に適合するのではなく、自身が見つけた『生きがい』を人生の中心に据えて、なおかつ『アートな生き様』を目指すのがよい」という事である。

芸術家タイプは良くも悪くもセンシティブだ。

しかし、その分感じる喜びも大きい。

「人生を最も楽しめる可能性がある」

そんな事を考えると「あなたは芸術家タイプです」という文句も悪くないものに思えてくる。

(おまけ)

ニートも現代資本主義社会に対するアンチテーゼ的存在として考えれば、充分にカウンターカルチャーなアートではないだろうか。

芸術家タイプにニートが多いのは必然であったのかもしれない。

「ニート = アート」である。(証明終了)

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