現代で「知らぬが仏」は逃げじゃない

あー。

なんにもやる気がしないモードに突入してしまった。

ツイッターを見るのもだるい。

ブログを書くのもしんどい。

季節の変わり目だからだろうか。

一昔前に「来月から本気出すコピペ」ってあったけど、ニート気質というか、慢性的に体調不良な人々って、あんな感じで一年中やる気が出ないよなー、と思う。

無気力モードの時は家に居ても虚無になっているだけだから、逆に仕事が入っていた方が、強制的に(金銭的には)有意義な時間が過ごせる気がする。

というか、まともに働いている人でも無気力モードの人は多いけど、「月火水木金」の習慣というか、慣性の力でどうにかやってるんだろうな。自分も学生時代はそんな感じだった。

慣性の力を利用すれば、なんとかやっていくこともできるのかもしれないけれど、ずっとそれが続く人生もしんどい。

最近、「この世を悲観的に捉えて、期待しない方が、イライラしないし、善いものは輝いて見えるよ」というツイートをした。

そうしたら、ある方が「同意だけど、過度にネガティブな人にとっては『こんな世の中死んだ方がマシ』となってしまう」とコメントしてくれて、確かになーと思った。

「この世は頑張ってまで、生きるに値するのか?」

度々、その問題に辿り着いてしまう時がある。

オリンピックのもろもろ。だるい。

というか情報をあまり得たくない。どうしても目に入ってしまうのだけど。

小山田さんのいじめ問題はなんとも言えない。

いじめ自慢を武勇伝のように語るようなヤツがいたら、然るべき報いを受けてほしいと思ってしまうのが心情だけれど(実際自分もそう思った)、どうやら雑誌のインタビューも悪意があるような切り抜きがされていたようだし、犯罪や悪事を働いた人の文化を全て使用禁止にしたら原始時代に戻らざるを得ない、という意見も確かになと思った。

(いじめ自慢というよりは当時の時代の在り方を振り返るような文脈だ。そして、小山田氏はいじめに加担してしまった部分もあったが、障害者クラスメイトのいじめについて「やりすぎ」だと思ったり、本人について〔嫌味ではなく〕「ファン」だと述べたりもしていた。)

しっかり謝罪するべき部分は謝罪して、音楽はそのまま使用する、で個人的には良いのではないかと思うが、民意としてそのようにはいかないのだろうな。今回はパラリンピックが関わっていたということもあるし。

「怒り」って大まかに分けて3種類あると思う。

単純な怒り(侮辱された時のような主体的な怒り)と、嫉妬と義憤。

単純な怒りや嫉妬は「抑えるべきもの」という認識があるからまだ爆発しにくいけれど、義憤には危うさを感じてしまう。

なんなら、「他人の為に怒ることはカッコいい」のような価値観さえ人々から感じる。

今回はまさしくオリンピックやコロナ関係の行き場を失ったストレスが”正当な怒り”によって爆発した形なのだと思う。

もちろん、いじめは許されるべき事ではない。

けれども、過去に罪を犯してしまった人はどうすれば許されるのだろうなー。

そんな事をしばらく考え込んでしまった。

個人的な結論としては、「許さないでくれ」と心の底から言えるような人間だけが、許されるべきなのではないかと思った。

「知らぬが仏」、まさしくその通りだ。

なんでこんな自分には関係ない運動会やいじめの問題でモヤモヤしなければならないのだろう。

世の中には、胸糞の悪いニュースばかり溢れている。

紛争が起こって、民間人が焼け死んだとか。

児童が育児放棄されて衰弱死したとか。

動物が虐待されて死んだとか。

おそらくニュースになってないだけで、もっと世の中には悲惨な苦しみや痛みが満ちているはずだ。

古今東西の苦痛に耳を傾けていたら発狂してしまいそうになる。

とてつもない拷問をされて死んでいった人がいる、という事実だけでもなんだかおかしくなってしまいそうだ。(この感覚分かってくれるだろうか)

現代を生きる人々には「知る義務」や「考える義務」があるのかもしれない。

でも、ニュースになるような出来事なんて自分一人にはどうにもできないような事が殆どだ。

結果的にストレスを押し付けられているだけと言ってもいい。

「情報を知ろうとしないこと」は「逃げ」だったり「ズルい」のような印象を得てしまうかもしれないけれど、情報過多の現代において「情報をシャットダウンして心を穏やかに保つ」のはむしろ「攻め」の姿勢でさえあると思う。

なんとなく情報に揉まれながら生きるのではなく、防御することによってしっかりと心の安寧を保つ。

そんな主体的な生き方は充分に「攻め」ではないだろうか。

地球の反対側の悲惨な出来事など、本来知る必要はなかったのだ。今の時代がちょっと異常なのである。

他人にあーだこーだ言うのではなく、ひとりひとりが(他人に迷惑をかけない範囲で)明るく楽しく生きようとすれば、世の中はもうちょいマシになる。ような気がする。

(定期的に見かける画像。「どうにもできないこと」を考えてもストレスが溜まるだけだ。まあ、「自分×未来」も「どうにかできる」とはあんまり思ってないけど〜)

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