せめて、いい人でありたい

メンタリストDAIGO氏が炎上していた。

「ホームレスの命はどうでもいい」

「生活保護より猫を救え」

それに対してこんなツイートをしたのだが、色々思う所があり、削除することにした。

ホームレスの命はどうでもいい、マジで言ってんのか、炎上商法狙いで言ってんのか分からないけど、インフルエンサーっていうか、有名であることで飯を食ってるヤツらは、飽きられたら死ぬ、止まったら死ぬマグロみたいなもんで、名を売る為なら他人を侮辱するような発言も躊躇わない所は軽蔑に値するね

ゆるふわ無職

DAIGO氏の発言は叩かれて当然のものだと思うけれど、自分も義憤的なツイートによって名を売ったり、ストレスを発散したいだけの人間にすぎないのかな、と考えてしまったのだ。

「名を売るためなら、他人を侮辱するような発言も躊躇わない所は軽蔑に値するね」という発言の自己矛盾(ブーメラン)でもある。

それに、ホームレスの人を援助したいとは思うけれど、何か特別にボランティア活動などをしている訳ではない。

当事者でもない住民Aが文句を言うのも何か違うかな、と思った。

以前、大学生の頃、みすぼらしい格好をした老人に交通費を貸して下さいと言われたことがある。(当時は存在を知らなかったが、おそらく寸尺詐欺だったのだろう)

怪しいとは思ったけれど、本当だったらどうしようと考え、「200円差し上げるので、お腹が減っていたら何か食べて、交番か駅の窓口に行ってください」と伝えた。

別に善人アピールしたい訳じゃないけど、そんな出来事をちょっと思い出した。

「インフルエンサーは止まったら死ぬマグロ」問題について考える。

自分は基本的にインフルエンサーと呼ばれる人たちをフォローしていないし、積極的に見ることもない。

リツイートでタイムラインに回ってきたりすると、面白いこと言ってるなあ、とか、これは良いこと言ってるなあ、など思ったりすることはあるけれど。

最初のツイートにも書いたが、彼/彼女らのような「有名であること」でメシを食っているような人々は「飽きられたら終わり」なのだ。

勢いが弱まり、ブームが冷めてしまったなら、一気に人が離れていく。

その為に「過激であること」「人を傷つけること」「口げんかに勝つこと」「エンターテイメントであること」も厭わないのであろう。(ある程度「プロレス」ってことも分かっているけどね)

そんなギラギラした空気感を感じてしまって、見ていると疲れる。

最近、自分も色んな人に見て貰おうと、過激なツイートをしてしまうことは少なくなかったので、反省しようと思った。

文章を書いてお金を貰えたらそれは嬉しいけれど、基本的に生活は労働でなんとかしていくつもりだ。

発信内容や思想は常にフラットでありたい。

ちなみに自分のブログは別に儲かっていないので、今のところ「多くの人に読まれること」に執着する必要もない。

サーバー代を考えると、普通に赤字である。ただの趣味だ。

ちょっと話題を変えてみる。

山奥ニートの葉梨氏が運営する、遁世ディスコードというサーバーがある。

ここでは「俗世を逃れて生きたい」ような人々が集まっており、自分もたまに参加していた。

そんな中、1週間ほど前に「求道者(ぐどうしゃ、悟りや真理を求めて修行する人)」を名乗る人が現れたのである。

確かに投稿を読んでみると、仏教に対する本格的な知識を持ち合わせているように思える。

しかし、彼は求道者を名乗るわりには、なかなか俗っぽい性格をしていた。

パチンコに行っていたり、レスバトルをしていたり、周りが見えていないような発言を繰り返すような。(別にディスってる訳ではない)

当然、ディスコードの住民からも「本当に求道者なんですか?」と嫌味を言われていたが、本人曰く「『求道者=聖者のような行動やメンタルを持ち合わせている』というのはフィクションによる偏見。世間で『普通』に見える人々にも覚者は多く存在する。もったいないこと。」と述べていた。

うーん。確かにそう言われればそんな気もする。老子も「悟った人は最終的に普通の人と見分けがつかなくなる」と言っていたし。

けれども、詭弁というか騙されている気がしなくもない。すごい悪口かもしれないけど、オウムの麻原みたいな。

結局、彼は遁世ディスコードをやめてしまったけど、別に悪い人ではなかったように思う。

周りが見えていなかっただけで。(コミュニティにおいて周りが見えないことは悪かもしれないが)

関係ない話が長くなってしまったけど、「求道者」として生きることはカッコいいな、と思う。

仏門でも、芸術でも、スポーツでも、学問でも、なんでもいいのだけれど。

ディスコードに現れた彼は俗っぽかったけれど、やはりそれなりの求道者や修行僧に対峙したのなら、姿や振る舞いからして「有り難い」ように思うのではないだろうか。

修行僧と言えば、東日本大震災で雪の中、瓦礫の山で読経を行う、お坊さんの姿を思い出す。

あのような人が本当に有り難い人間であるはずだ。

怠惰で無気力な自分は、修行僧のようにストイックに生きるのは難しいかもしれない。

けれど、せめて「いい人」ではありたいと思う。

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