昨日から今日にかけていきなり涼しい。
「冷房が無料!」みたいな感覚だ。
こんな言葉は全く好きではないのだが、まさに「生きてるだけで丸儲け」である。
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なるべく働かないような生活をしていると、感受性は劣化するのだろうか?
答えは一長一短であるように思う。
減速して生きることによって気付けるものも多々あるが、やはり金銭面によって芸術や文化に触れる機会が減るだろう。
特に、ローコスト生活における、「お金がかかるもの=無駄なもの」という刷り込みが行き過ぎると、心まで貧しくなってしまうような気がしてならない。
誰しもが持つ、「自分を正当化したい」という思いが、「自分の手が届かないもの」を不要なものであると認識を改竄してしまうのだ。
ぼったくりやブランド商法でもない限り、高額なものには値段相応のデザインや技術が盛り込まれているはずである。
そういったものや、それを創り出す人々に対するリスペクトの精神は忘れたくない。
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高価なものは「しっかり使う」のがかっこいいと思う。
コスパ!コスパ!の時代だけれど、低価格だけを求めて生きていてもつまらない。
例えば、服や靴ならば気に入ったものをずっと大切に使えばいいのだ。
自分も数万円のアノラックパーカーを2〜3年前に買ったけれど、春と秋は基本的にそれを着ている。
服は少ない方がいい。迷う必要もないし、管理も楽だ。
数種類をローテーションすれば充分である。
いつも同じ服を着てると思われるかもしれないが、案外キャラとして分かりやすい気もするし、クサかったりしない限り別にいいのではないだろうか。
逆に、個人的に「ださいなー」と思ってしまうのは「流行によって服を頻繁に買い替える人」である。
ファッションには個性を演出する意味もあると思うけど、作られた流行に合わせて生きるのはとても無個性であるようにも感じてしまう。
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しかし、カルチャーやブランドをリスペクトしているとはいえ、実際問題、ニートになってからは生活費以外でお金を使うことは減ってしまった。(というか難しい)
お金が無いけれど、”文化的な生活”を営みたいとなると、本を読むことや文章を書くことに行き着くのではないだろうか。
自分はニートになるまで、ほとんど本も読まなかったし、日記やブログを付けることもなかった。このような活字的な楽しさというのは、社会から減速したこと(正確には転げ落ちた)によって得られたものなのである。
こんなツイートを見かけたけれど、その通りだなーと思った。
インスタントな娯楽が溢れ、多忙に追われる現代、「金が無い」&「時間がある」でないと、読書は難しい。
他の”文化”で言えば、イラストや宅録(自宅作曲)などもローコスト生活者向けなのではないだろうか。環境さえあれば、1人で黙々とできるものがいい。
「無職を経験すると人生にコクが生まれる」と言うが、新たな知見を得ることができるという意味では、必ずしもニートになることがマイナスであるとは限らないように思う。
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漫画『寄生獣』で「心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!」とミギー(寄生生物)が人間について述べるシーンがある。
自分はヒマを愛しているのだな、と思った。
ゴロゴロして働かないということもそうだけれど、文化というものは平和であり、人間に余裕(ヒマ)がないと発展しない。
元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎氏が
「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。」
と述べていた。
最近炎上していた「ホームレスの命はどうでもいい」じゃないけれど、不要なものがどんどん切り捨てられていくような社会は息苦しい。
もっと無駄なものを大切にしていく。
自分は「人生に意味はない」という考えが根底に強く存在する。
このニヒリズムを脱却する方法としても、「ヒマを愛すること」は有効なのではないかと思う。