まんが評論家おじさん

最近、漫画が楽しめなくなってきた。

僕は昔からけっこう漫画が好きで、大学時代はネットカフェでバイトしたり(従業員特典で漫画が読み放題だったのだ)、スーパー銭湯に行って、朝から晩まで漫画を読み倒したりしていたのだが、最近はそういったテンションになれない。

漫画アプリなどで新作漫画を読んでも、「うーん」といった感覚なのである。

これはいい加減、漫画からは卒業しろということなのだろうか?

単なる老化や嗜好の変化で済ますこともできそうだが、ちょっとよく考えてみると、それだけの話ではなさそうだ。

 

まず、大人になって(もしくはその過程で)漫画やアニメ、小説や映画などの有名作品を読み切ってしまうと、「面白さのパターン」を掴んでしまうことは原因にあるだろう。

無垢な子供時代は「うおお!この展開アツすぎる!」「こんな演出があったのか!」と心から思えたのだが、今となっては、そういった展開を目にしても「あー、またこのパターンね」と、どこか冷めて捉えてしまいがちなのである。

(結局、「面白さ」とは、有限のパターンしか持ち得ないのだろうか? などと考えてしまうものだ)

しかし、これはこれで別にいいだろう。

同じ展開や設定であっても、「それが漫画(物語)というものの様式美なのだ」と割り切れば、それなりに楽しめるものであるし、今でもドラゴンボールよろしく「ピンチに味方が助けに来た」などはやはり盛り上がるものである。

 

そうではなく、主な問題は、そのような「パターンの把握」よりも、「”少年”ではなく”評論家”になってしまった僕ら」にあるのではないだろうか?

僕らは有名作品、つまりは元ネタを知りすぎてしまった。

それ故に、新しい作品を読んで、面白さやその世界観に没入しようとしてみても

「あー、この作品って◯◯と△△と□□を組み合わせた感じだね 笑」

「この作者は**と☆☆の影響を受けたんだろうな 笑」

というような、イヤミな自意識がどこかから湧き上がってきてしまうのである!

特に、僕は今20代後半なのだが、そのぐらいの年齢になってくると、自分と同じものを見て読んで育った人々が活躍を始める。

別に、それらをパクリだと糾弾したい訳じゃない。

全ての創作物は大なり小なりパクリであるし、前述したように「様式美」はたくさんある。

しかし、あまりにも見てきたものが被っていると、どこか鼻についてしまうのも、それまた事実であるのだ(特に元ネタが好きであったりすると)。

 

このような漫画評論家おじさん(もしくはおばさん)になってしまったらどうすればいいだろうか?

取れる選択肢は2つしかないと思う。

 

まず、1つ目は「少年/少女に戻る」ことである。

「ありがち」や「パクリ」を一切気にせずに(もしくは一時忘れて)、無垢に”その作品そのもの”を楽しむ。

そういった鑑賞方法も考えられるだろう。

 

2つ目は「よりめんどくさいオタク」になることである。

「ありがち」や「パクリ」などの感想は、表現力と語彙力の少なさから来るただの逃げであると自負し、より様々な知識を吸収して、細密に語り尽くそうとする方向性だ。

 

漫画(もしくは作品)を心から楽しむためには、「子供」になるか、「オタク」になるか、しかないのである。

(もしくは、これらを行き来できると、”強い”)

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