なぜ僕は死のうとしないのだろう。
僕は暗い人間であるし、ペシミスティックな一面も持つし、まともに職もないわけである。
一般的には、生きててもしょうもない、お先まっくらの人間だ。
逆に、「なぜ死なないのか?」と自らに問いたくなるときもあるものだ。
うーむ。考えてみると、自分の「きまじめさ」に幾分か助けられているのではないかと思った。
まずは、「評価するなら最後まで見ろや」理論である。
例えば、あなたの知り合いにこんなことを言う人がいたらどうだろうか。
「○○ってマンガ読んだけど、スゲーつまんなかったわw」
「へえー。最後まで読んだの?」
「いや、つまんないから途中でやめたw」
僕の場合、こういうタイプに人に対しては「ハァ?」と思ってしまう。
もちろん、最後まで読んでみて「つまらなかった」と言うならば分かる。
しかし、途中でやめてしまったのに、作品に対して正当な評価ができると考えているのは、随分な思い上がりではないだろうか。
――ディスるなら、ちゃんと最期まで見ましょう。
そういうスタンスが、個人的に人生に対してもある。
もう1つは、似たようなものだが「まだまだ知らないことばかりじゃね?」理論である。
例えば、この世界のいろんな学問を学んで、老後の生活まで体験した人が「やっぱ人生ってどうしようもないわ」と言うのなら分かる。
「ああー、そこまでやってみたけど、ダメだったんか」という感想だ。
それに対して、僕はまだ知らないことばかりだ。
知識や思想、他者との交流、人生経験、年齢による変化。
そういった知らないものごとがたくさんあるのに「死ぬべき」だと判断するのは、いかんせん軽率なのではないか。
だから、死ぬならば、できる限り知れることを知ってから死のうという気持ちがあるのだ。
ただ、まあ口ではそう言いつつも、「死にたさ」っていうのは理屈ではないのは分かる。
「とにかくこの苦しみから逃れたい」
「これからに全く希望が見いだせない」
「今この瞬間の苦痛に耐えられない」
そういうことなんだろう。分かる。分かりすぎる。
こういった気持ちに対していくらかのアドバイスは思いつくけれど、結局「生存バイアス」&「ポジショントーク」みたいになってしまうのだろうな。
ムズカシイデスネ……。