脳内231030

ニートボケが最近ひどい。

単純に老化なのかもしれないが。

具体的に言うと、時間……というものがよく分からなくなってきた。

別に「記憶がない」っていうわけではないのだが、「自分が明確な意志を持って、それをしていた(している)」という実感が薄れてきている。

意志薄弱? 神経衰弱?

こうやって、ブログを書いて公表したりすると、「普通に考えているじゃないか」と思われるかもしれない。

けれども、なんと言えばいいのか、それは反射的な反応というか、脳にストックが溜まったから垂れ流れてしまう、といった具合なのである。

だから、ちょっと無責任に思われるかもしれないが、過去のブログやツイートを見ると

「あれ? こんなこと書いたっけ? でも、確かに自分が書きそうだな」みたいな感想になる。

自分が明確な意志を持った人間ではなく、Aという刺激を受けてBというリアクションを返すただの動物に近く感じる。

もうだめだ。

 

最近は涼しくて過ごしやすい。

金曜日は昼散歩をしながら、ちょっと遠くの銭湯に行った。

ゆっくり湯に浸かった後は、帰りにカレーを食べて、家でだらだら寝そべってドラクエ6の続きをした。

なにも不満のない、とても充実した1日である。

幸福。これで幸福ではないと言ったら、それは高望みしすぎだ。

……ただ、僕は幸福がとても恐ろしい。

それは「ある条件によって幸福になる」ということは、「別の条件が与えられたときは、苦痛が襲い掛かる」の証左に他ならないからである。

どういうことか。

例えば、最近は「気温がちょうど良くて、過ごしやすく、心地いい」。

ただし、それは「高温の熱風に晒されたら、全身に大火傷を負って悶え苦しみ、低温の極寒に晒されたら、全身が凍傷に襲われ震え死ぬ」ということを証明しているとも言えないだろうか?

僕はどうしても、幸福の裏側に潜む、逆のポテンシャルに目を向けてしまう。

ネガティブとか暗いとか言うのは勝手だが、別に僕は間違ったことを言っているつもりはない。科学(物理法則)的にも。

恐ろしい。幸福が恐ろしい。

だから、僕が究極に求めているのは、「条件に依らない幸福」なのである。

死刑前日でも、末期病の激痛の中でも、「私は幸福である」と思えない限り、それ以外は「まやかしの幸福」に思えてしまうのである。

 

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