脳内240503

ニート的な人々に現実世界で会ったら「人生のよく分からなさ」が増した。

「何か分かるかもしれない」と思っていたが、予想と逆だった。

これはシンプルに他の人々の考えや思想に触れたからというわけではなく、新しい人間と出会ったことで自分の世界の「奥行」のようなものが広がってしまって困惑している、という側面もあると思う。

 

自分が何をしたいのかよく分からない。

これまで散々ネットに長文を垂れ流してきたが、「で、結局オマエはなにがしたいの???」と問い詰められたら何も答えられる気がしない。

明確な主義・理想・信念みたいなものがない。

かといって、快楽を追及することも飽いた。

ただ、場当たり的に苦痛を避けながら生きている。

 

働きたくない。

webライターの業務委託をしているが、くそどうでもいい文章(「見える化」ってなんやねん)を書いていると、頭を柱に打ち付けてそのまま中身をブチまけたくなってくる。

あと、貰える金額が変わらないのに要求ばかり増えてイヤンなってきた。

とはいえ、完全在宅かつ個人作業で月に4~5万貰えるというのは、ニートにとってかなりありがたい条件である。

なんだかんだ生存や活動には、カネが必要なので辞めるに辞めきれない状況だ。

 

去年~今年から明らかに読書パワー・作文パワーが落ちている。

原因は明らかに労働である。

読みたい本や書きたいネタはそれなりにあるのだが、全然消化・出力できていない。

完全ニートに戻れば、また読み書きパワーが復活できるような気もするのだが(分かる人には分かってもらえるかもしれないが、あの完全ニート状態でないと入れない”ゾーン”や”まどろみ”のようなものがある)、その一方で

「またニートに戻って、それからどうすんの??」

「お前がテツガク的な思索をしたところで、なんか意味があんの??

誰も救わない、お前の自己満・自分語り・ビジネスニートが繰り返されるだけじゃねえの??」

という声も聞こえてくるようだ。

死ぬ前に『ニート研究本(仮)』『ニートエッセイ2(仮)』書きたいのだがの。

 

自分は言葉の力をよく知っている。

むやみやたらに言葉を乱用し、声に出したり、記述したりすると、その概念が世界に固定されてしまう。

だから、なるべくこういったことは述べないようにしていたのだが、生きているのがつらい。

いや、別に「つらい」という言葉を使う必要もないのだが(「つらい」ことを「つらい」という必然性が僕には分からない。これは「しんどい」でも「タイアード」でも同様である)、このマイナスとしか言えない感覚がいつまでも自分の心身から離れてくれない、というのがどうにもならない現状だ。

たまにしか言わないし、どうせならたくさん言っておくか。つらい、つらい、つらいぜ。

とはいえ、死ぬほどつらいというわけでもないのである。

「わざわざこんなつらいことを続ける意味があるのかね?」ってぐらい。

あと、別に「生きていることはつらい」とか「生まれない方がいい」とか言うつもりもない。

これは完全に”自分”の問題だと自覚している。

全人類に共通する普遍の真理として「つらい」と主張するつもりは微塵もない。

 

↑のトピックと関係することなのだが、最近何を語ればいいのか分からない。

主にニート関係。

「ニートがうんぬんかんぬん」というよりも、「自分の問題」の割合が大きく増えてしまったように思うからである。

骨折した人に松葉杖は必要かもしれないが、その骨折マンが「みんな松葉杖を使うべき!」とか言い出すのはちょっとおかしいよね、みたいな話。

 

これはリアルでニート系の人々に会う前から思っていたことなのだが、30代以降のニートはやはり”キャラ”というか、強い”我”のようなものを持っているな、と思う。

というよりも、そうでないと生き残れなかった、という生存バイアス的なものが働いているのかもしれない。

・なんとなくニート → なんとなく就職

・メンタル弱め → 世間体から就職

・ガチひきこもり → 活動的じゃない・表に出ない

・貧乏/社会的弱者 → 福祉のお世話に

・全くウケなかった → 就職 or 福祉

みたいな感じで、「我が道を往った」「思想強め」「ある程度ウケた」「マネタイズに成功した」「パトロンを見つけられた」タイプのキャラの濃いニートのみが、30代以降を生き延びているのだと思う。

 

これも前から言っているんだけど、ニートで食っていく(?)なら、「芸人」か「僧侶」やるしかないよな、と思っている(ハイブリットもあるね)。

前者は「私はこんなに世の中を面白おかしく生きています。面白かったら投げ銭してね♡」という方向性。

後者は「私はこんなに世の中を俯瞰して悟りの境地で生きています。ありがたかったらお布施してね♡」という方向性。

別に現状をむやみに叩きたいわけじゃないし、そういう活動をしている人々がいること自体は面白いとは思うんだけど、もう少しどうにか社会全体にアプローチできないものか。

 

最近活用してるニート論

「確かにオレは働いていないかもしれないが、こうやってみんなで遊ぶことによってここにいる人々を楽しませている。

金儲けのために、街路樹を枯らしたり、車をへこませている人間とどっちが立派なのだろうか??」

 

↑を書いて思ったのだが、たまにいる投資系ニートとか転売系ニートとは話が合わないなと思う。

投資はシンプルに才能や知識がない……あと、株とかなんちゃらコインは持ってると心がそわそわしちゃう(自分は心穏やかに暮らしてえのよ)。

あと、転売系はいいお小遣い稼ぎになるのかもしれないが、働きたくない大きな理由の1つが「シャバいことをしたくない」だから、その辺の感性を共有できてないとあんまり仲良くなれないな、と思った。

別にそういった生き方を否定しているわけではないです。転売系の人見てたらごめんね。

 

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