[1]
このところは、もっぱら労働ばかりしている。
今日も6時間ほどモニターに向き合って、マニュアル作成のタスクを倒していた。
労働をしていると、労働のことしか考えなくて済むので、ある意味楽だ。
なぜか世界が意味もなく存在しているとか、いつか必ずこの私が死ぬとか、そういったことを考えずに済む。
足元の小石をせっせと退かしていれば、遠くに佇む彼岸の景色を見ずに済む。
生と死の忘却ーー誠実さには欠けるのかもしれないが、人間がそれをまじまじと眺めたところで、いずれ眼が潰れるだけではないのか?
単発の業務委託で小銭を稼ぎ、スーパーの特売品の肉を買い、来月の生活費の心配をする。
これが現在の私の世界の全て。
生活リアリズム。
[2]
勘違いしないでほしいのだが、私はそれなりに幸せなのだ。
街外れの住宅街、静かな暮らし、小さなローテーブル。
これ以上なにも求めるものはない。
だが、幸福というのはいつか必ず終わりが来る。
私は幸福から転落することが決定している。
そうなれば打撲か?骨折か?脳挫傷か?
私は高いところが怖い。高所恐怖症だ。
幸せというものが全て「前フリ」にしか思えない。
汚泥の中で惨めに這いつくばっているときだけ、私は確かな安心感を得ることができる。
[3]
文章が書けない、という話を前回したのだが、それも当たり前なのかもしれない。
最近、自分で自分のことが何も分からない。
幸せなのか、不幸なのか?
楽しいのか、苦痛なのか?
生きたいのか、死にたいのか?
言葉の外枠が溶け出して、それを組み立てることもできなくなってしまった。
ただ、生活にまどろむだけの日々。