脳内250121

[1]

このところは、もっぱら労働ばかりしている。

今日も6時間ほどモニターに向き合って、マニュアル作成のタスクを倒していた。

労働をしていると、労働のことしか考えなくて済むので、ある意味楽だ。

なぜか世界が意味もなく存在しているとか、いつか必ずこの私が死ぬとか、そういったことを考えずに済む。

足元の小石をせっせと退かしていれば、遠くに佇む彼岸の景色を見ずに済む。

生と死の忘却ーー誠実さには欠けるのかもしれないが、人間がそれをまじまじと眺めたところで、いずれ眼が潰れるだけではないのか?

単発の業務委託で小銭を稼ぎ、スーパーの特売品の肉を買い、来月の生活費の心配をする。

これが現在の私の世界の全て。

生活リアリズム。

 

[2]

勘違いしないでほしいのだが、私はそれなりに幸せなのだ。

街外れの住宅街、静かな暮らし、小さなローテーブル。

これ以上なにも求めるものはない。

だが、幸福というのはいつか必ず終わりが来る。

私は幸福から転落することが決定している。

そうなれば打撲か?骨折か?脳挫傷か?

私は高いところが怖い。高所恐怖症だ。

幸せというものが全て「前フリ」にしか思えない。

汚泥の中で惨めに這いつくばっているときだけ、私は確かな安心感を得ることができる。

 

[3]

文章が書けない、という話を前回したのだが、それも当たり前なのかもしれない。

最近、自分で自分のことが何も分からない。

幸せなのか、不幸なのか?

楽しいのか、苦痛なのか?

生きたいのか、死にたいのか?

言葉の外枠が溶け出して、それを組み立てることもできなくなってしまった。

ただ、生活にまどろむだけの日々。

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