脳内261005

久々にブログ
こういう駄文が沢山載っていたのが昔のゆるふわ無職ブログなんだよな
新参は過去のゆるふわ無職ブログを知らないから困る

■秋
秋は過ごしやすいが冷静に死にたくなる。夏や冬は生存に必死で意思決定を挟む余地がない。

■自慰識とシコ文ぶみ
最近本を読んだり、文章を書いたり全然してない。そもそも自分って本読んだり、文章書いたりするの好きだったんだろうか? ガチ無職のときは暇で金なくて、本読んだりブログ書いたりしてたけど、最近は全然してない。生活に埋没してしまった。まあ、無理に書いたり読んだりするものじゃないしいいか。あと、ニーマガ始めてから執筆に義務感が生まれたというか、労働化してしまったのだろうか。

そもそも、他人の文章って読んでて楽しいか? 不快になることも多いよな。お前も急に下ネタの見出しを突きつけられて不快になっているよな。なぜ自分は文章を書いていたのだろう……それは突き詰めると、やっぱり自意識の問題に辿り着く気がする。
さみしいから、ちやほやされたいから、すごいと思われたいから、認められたいから……という陳腐な理由が根底にはあった。
もちろん、その過程や結果に伴って、誰かの役に立ったり、有意義な議論が生まれたりすることもあったかもしれないが、ドリブンとしてはやっぱり自意識や承認欲求の問題があった。
これは自分に限った話ではなく、どんな人間も似たようなものなんじゃないだろうか。純文学を残したい人も、緻密な哲学体系を構築したい人も、政治社会を改革したい人も、根っこのどこかには、「社会的に認められたいから」「みんなからちやほやされたいから」「自分の上位互換のあいつがムカつくから」みたいな、くだらない自意識があるんじゃないだろうか。
自分を慰めるためにシコシコと書く文章。それがシコ文。
特にどんなものが「自慰識」で「シコ文」だと思うかと言えば、それは自分の現状や在り方を肯定するために書く文章だと思う。「俺の生き方はこんなに正しくてユニークで素晴らしい」「社会に文句を言っても仕方ない。スマートに折り合いを付けて生きていく自分は賢い」「生きづらい虚弱だけど自分らしく生きています」みたいなやつ。つまり、「自分!自分!自分!」って感じの文章がシコ文。

自分が正しい、と思っている人間って何を根拠に思っているのだろう。これは特に自己決定第一主義者だけじゃなくて、リベラル社会正義棒を振り回している人にも聞いてみたい(そして、それらを達観して賢人ぶっているやつにも。どうせ自分が正しいとは限らないという保留的態度が”正しい”と思ってるんやろ?)。お前は何を根拠にそんなにエラそうにしているのか? 宗教ならまだ分かるんよ。神様や仏様の教えに従っている。それが根拠だって言われるのはむしろ納得できる。でも別に宗教者ではないでしょ? 何を確信してそんなにイキってん? その傲慢っぷりがよく分からん。
そういうことを考えると、自己愛に満ちたイカ臭い他者の文章を読むことに、辟易としているところがある。分かった分かった。お前が正しくて、センスがよくて、悲しい過去があって、なんだかんだ今は充実していることは分かった。もう充分だ。そして俺自身も充分だ。なにより、自分が作文するにあたって自己愛から抜け出せないからこそ、他者の文章にムカつくんだろう? 文章的な活動はもう終わりにしてもいいのかもしれない。

ちなみに、一番腹立つのはサブカルメンヘラ現代短歌みたいなやつ。575はええねん。短すぎて自意識が入り込む余地がないから。でも57577はあかん。自己愛と「このワードチョイス、センスいいでしょ?」って自己顕示欲が限りなく煮詰められて、俺が他人の文章を読むにあたって「こういうのキツイな~」と思う要素が凝縮されているようにしか感じられない。顔面に胆嚢をぶん投げられたような気分になる。
でも自由律俳句は好き。種田山頭火とかずっとカルモチンがうんたらかんたらとか言ってるメンヘラだけどなんでこっちは許せるんだろうか。

■まどマギ
まどマギの新映画を見た。つまらなかった。なぜか。大味だから。セカイ系・概念系が書き換わる系展開ってやっぱり日常を丁寧に描くからこそ、そこにカタルシスが生まれると思う。アニメ版は1~11話で丁寧に小さな関係を描いたからこそ、12話が面白かったんよ。前フリ無しに概念系の展開やられても置いてけぼりなだけやで。
新映画できゅうべえシンパの新キャラ魔法少女が「魔法少女は苦しんでいるべきなんだ。アニメ版の元のシステムが正しい在り方なんだ」みたいなセリフを言っていて思ったんだけど、まどマギってメタ的に読むと「きゅうべえによる宇宙の寿命の延長=作品シリーズの延長」で「魔法少女たちが希望から絶望に変わる瞬間に生まれるエネルギー=視聴者のカタルシス」だよね。
だから、お前らが面白がって「助六w」「ホームベースw」とか言うからあの作品が続いてみんなが苦しむねん。まどマギはアニメ版で終わりでOK。綺麗に終わってるやん。これ以上続きを求めてはいけない。

■ブレワイ
友人に「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」をやらずにゲームを語るなと3年ぐらい説教され続けてきたのだが、ついに根負けしてブレワイの購入に至った。なんで10年前のゲームなのに中古で4000円もすんねん。で、やっているんだけど、非常につらい。しんどすぎて、俺はブレワイをやる作業を「労働2」と名付けている。賃労働と同じ義務感でハイラルを救っている。
なぜブレワイがつまらないのか。
① 世界を救うモチベがない。記憶喪失の主人公がいきなり目覚めるという始まり方なので、知らんジジイにいきなり世界を救えとか言われても全然救いたくない。ストーリーを進めると過去の記憶も思い出していくが、「だからなんやねん」感が強い。
② 3Dアクションゲームが全然好きじゃない。やっているだけで疲れる。ボタン操作が多すぎてだるい。覚えられない。まあこれは俺の問題か。運動音痴にどんなスポーツをやらせても苦痛であるように。
③ オープンワールドのゲームが全然好みじゃない。疲れるだけ。できることが多いほど疲れることはない。あと、重要なキャラとかイベントを取り逃すから設計的に不親切すぎる。ポーチの拡張をしてくれる序盤キャラを見逃して苦行を強いられた。
④ 素材集めとか祠探しがだるい。リターンもしょっぱい。モチベが皆無。なんのためにこんなことをしているのか?
唯一面白いのは……謎解きパートかな。シンプルにパズルが好きなので。

■文章の悪口2
また文章の悪口を書きたくなってきた。このブログはフリースタイルなので。
最近、あらゆる文章に対して「言ってるだけやん」と思うようになってしまった。
「口だけで実行に移してない」とかそういう批判とは違くて……
例えば「私はリンゴを食べました。おいしかったです」という文章に対して
「私(←『私』って何?お前が勝手に言ってるだけやん)はリンゴ(←『リンゴ』って何?お前が勝手に言ってるだけやん)を食べました(←『食べた』って何?お前が勝手に言ってるだけやん)。おいしかった(←『おいしかった』って何?お前が勝手に言ってるだけやん)です」
と思うようになってしまったということ。言語に対する不信感。どうでもよさ。もう終わりだよ。

■どうでもいい
よく言えばどうでもいい。悪く言えばどうにもならない。

■どうでもいい2
最近はどうでもいいおじさんだけど、拷問されながら殺されることになったらやっぱりどうでもいいとか言ってられないよな。

■言葉の悪口
そもそも、言葉があんまりよくない。お前ら会話するな。文章も書くな。踊っとけ。一緒にバンドやっとけ。前に大阪行ったときに「周縁的コミュニティにも馴染めない人はどうすればいいのか?どう包括すべきなのか?」「社会不適合者のコミュニティにさえ適合できない人はどうすればいいのか?」ということを話したのだけど、最近自分は非言語的コミュニケーションの方に可能性を感じている。みんな踊っとけばええねん。議論したりするから腹立つねん。じゃあそういうことで終わり。

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