「欲」について

■ 人間である限り逃れられぬカルマ

「欲」というのは、人間である限り逃れられぬ大きな問題である。

普通のサラリーマンにとっても、低コスト生活者にとっても、ニートにとっても、頭を悩ませるものだ。

今日はその辺りについて、少しばかり考えてみる。

 

■ 3つの分類

「欲」との向き合い方は、概ね3つに分類されると思う。

① 欲を肯定して、欲のままに生きる

② 欲の落としどころを見つけて、節度をもって生きる

③ 欲を断ち切って、修行僧のように生きる

多くの人々は①と②のグラデーションの間をさまよっているといったところだろうか。

 

■ 欲に従うのも悪くない

僕はなるべく働かずに、隠居老人のような生活を送っているが、別に「欲のままに生きる」という生き方を否定するつもりはない。

いっぱい働いて、いっぱい使って、いっぱい楽しくなる。そして、それをモチベーションに、またいっぱい働く。

資本主義的にはそれが好ましいとされるし、人間としてはある意味「正常」だとも言える。

そのような生き方が自分と嚙み合っているなら、無理に欲を抑える必要はないのではないだろうか。

 

■ アンテナがポンコツなのだ

僕は②と③の中間のような生き方をしている。

(いや、怠惰と惰眠を貪るという意味では、とてつもない①か? まあ、それはひとまず置いておこう)

なぜ、そのように生きているかというと、それはひとえに僕のセンサーがどこかイカれてしまっているからである。

まず、世の中の苦痛やストレスに関しては、物凄くリアルでハードなものに感じる。週5の8時間労働など地獄のようだ。

その一方で、快楽に関しては、無意味でスカスカなものに感じてしまう。

「だからなんなのか?」「またこのパターンの繰り返し?」といったところである。

要するに、コストとリターンが釣り合っていない。

コストに関しては激しい負担を感じるものの、リターンに関してはただ虚しさを感じるばかり。

だったら、なるべくコストを下げて、なるべく無欲に生きた方がいいと考えたのだ。

 

■ 「欲を捨てよう」という傲慢さ

ただ、最近では「無欲に生きよう」や「競争から降りよう」というセリフは、とても傲慢なのではないかと考えるようにもなった。

なぜならば、多くの場合、「得た者(得ている者)だけが捨てることができる」からである。

「お金が全てじゃない」と言う人は、そこそこ恵まれた家庭を出ている(または、一時期はしっかり稼いでいた)。

「恋愛から降りてもいい」と言う人は、だいたい恋愛を経験している。

「学歴なんか関係ない」と言う人は、それなりの学歴を持っている。

そして、声高にそのような主張をする人々は、youtube・ブログ・書籍などで、大概の場合、収入や地位(知名度やフォロワー数)を得ている。

「欲を捨てて生きよう」という主張をする人(僕も含めて!)は、果たして「貧乏な家庭に生まれて、一度も他人と付き合えず、希望の進路にも進めなかった、人生でなにも誇れるものがない人」にも、堂々と同じことを言うことができるのだろうか。

そこには、どこか「持つ者」ゆえの傲慢さがあるような気がしてならない。

 

■ 一度やりたいようにやってみる

ただ、上記の話を踏まえると、「一度やりたいようにやってみる」というのは有効な手段の1つであるようにも思う。

思いっきり遊んで、思いっきり金を使ってみる。思う存分に経験を得てみるのだ。

そうすれば、「ああ、こんなことを繰り返しても、虚しいだけだな……」と心の底から理解することができるかもしれない。

(しかし、快楽にハマってしまう可能性も否めないものである)

 

■ 適度なガス抜き

また、「欲」との付き合い方を考えるなら、「② 欲の落としどころを見つけて、節度をもって生きる」のように、適度にガス抜きをしながら生きるというのも現実的だ。

別に、精進料理のような食生活をせずとも、たまにはマクドナルドぐらい食べたらいい。

もしくは、性欲を抑えられなくなってきたのなら、マスターベーションでもして済ませてしまえばいい。

まあ、こうやって言葉にするまでもなく、多くの人々が実践しているのが、この方法であるだろう。

 

■ カルマに囚われる

だが、ここで疑問に思うのは、「なぜ、それこそ修行僧は『ガス抜き』という方法を選ばなかったのだろうか?」ということである。

わざわざ、「煩悩退散!煩悩退散!」と気張る必要はない。それこそ、ネットスラングよろしく、抜いてしまえば「賢者」になれるはずだ。

厳しい戒律など守らずとも、適度にガス抜きを続けていれば、それなりに心穏やかに過ごすことができるのではないだろうか?

その問題に対して、個人的にいろいろ考えたり、他の人の意見を読んだりして考えた結論は、以下のようなものである。

ここでは、分かりやすさのため、やはり「性欲」を例にしよう。

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性欲が溜まってくる
↓
エッチなことをする
↓
気持ちよくなる
↓
「性欲を満たす → 気持ちいい」という認識が強化される
↓
世の中の性的なものがより目につくようになる(性的なフィルターの強化)
↓
性欲が溜まってくる
↓
以下、性欲に囚われる負の無限ループ
-----
↑このループこそが、「苦しみ」にほかならないから。

ということだ。

彼らは、この負の連鎖に対して、「無理にでも歯止めをかけなくてはならない!」と考えたのである。

 

■ しょうもない結論

さて、だらだらと持論を述べてきたが、結局僕のような凡人に取れる戦略はどちらかしかないのではないだろうか。

それは、①と②の中間で「欲ループ」を活性化させて生きるか、②の③中間で「欲ループ」を衰退させて生きるか、である(上にも下にも、突き抜けるのが難しい!)。

① 欲を肯定して、欲のままに生きる

② 欲の落としどころを見つけて、節度をもって生きる

③ 欲を断ち切って、修行僧のように生きる

僕はもちろん後者を選んだ。

あとは、それだけだと虚無ってしまうので、たまにはバイトしたり、アクセント的に贅沢したりしてみる。

しょうもない結論だが、そんなところだろうか。

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