棺桶にビッグマフを入れて欲しい

今日も体調が「D」であった。

「D」とはもちろん「だるい」のことである。

「実況パワフルプロ野球(パワプロ)」というゲームでは選手の調子が五段階で表示される。

絶好調ならステータスが上昇し、絶不調なら下降するという訳だ。

絶好調を「A」、絶不調を「E」とするならば、基本的に体調が「D(不調/だるい)」なのである。

「A」とか「B」にも「D(Darui)」のような意味付けをしようとかと思ったが、そういうことを考えるのすらめんどくさい。アイデア募集中。

ここ近年、自分のカレンダーは殆ど毎日が「D」である。

「D」だと「なんにもやる気はしないが、ツイッターを見たりブログを書いたりはできる」ぐらいだ。

「E」に突入するとまずい。

インターネットを眺めることすらできなくなる。

2,3日ぐらい何もアクションが無い時は「E」で死んでいるのだなと思って欲しい。

たまに「A」や「B」も出現するのだが、カイジの沼の設定日ぐらいレアである。

「A」だと何もしていないのに「なんか人生楽しくね〜?ウホウホ!」みたいな気分になる。

これが「普通の人の感覚」なのか、「躁」であるのかよく分からない。

ただ、子供の頃は基本的に「A」や「B」であった気がしなくもない。

永遠に眠っていたい。

ただ、永眠とは言うけれど、寝ている状態と死んでいる状態は全く違うのだろうなと思う。

恐らく、寝ている時はホワイトノイズが乗っているような状態で、死んでいる時は完全な無音なのだ。

ホワイトノイズとはあらゆる周波数が乗っかった雑音のことで、擬音で表すなら「ザー」という感じ。

寝ている時のまどろみはノイズに近いものを感じる。

具体的なメロディーやリズムがある訳では無いけれど、そこから感覚や体験を掬い出してしまうこともあるような。

一方、死んでしまうということは完全な無音なのだろう。

死の擬似体験としては、全身麻酔が恐らくかなり近いはずである。

よく聞くのは「気がついたら時間が飛んで手術が終わっていた」というものだ。

「寝てた」ではなく、「無」なのだ。

擬似的な死にすごく興味がある。

一度、お金を払ってでも、全身麻酔だけ受けてみたい。

体験してしまえば、「あー、死ぬってこの程度か」と思えるかもしれない。

ネガティブな意味で「死を考える」というよりは、サクッとラフなものとして「死を考えたい」のだ。

「そろそろ熱いからサウナ(人生)出るかー」ぐらいのノリで水風呂(三途の川)に飛び込みたい。

実は幼少期(3歳ぐらい)に全身麻酔の手術をしたことがある(らしい)。前後も含めて全く覚えていない。

幼い頃の記憶というのは曖昧なものだ。

自分の1番古い記憶は「遊覧船に乗っていた」である。

「どこの船に乗ってたんだ?」と疑問に思い、親に尋ねたことがあるのだが、幼少期に船に乗ったことなど無かった。

記憶違いと言えばそれまでなのだが、この世とあの世の渡し船を幼児が現世的に捉えた…と解釈してみるのも面白いかもしれない。

お坊さん事件 (クリスマスにするツイートではない)

生まれたばかりの頃には不思議な体験をしがちなものである。

ということは、ジイさんになって死ぬ間際にもあの世が見えたりするのだろうか。

無音の世界に行くのはちょっと寂しい気もする。

棺桶にはノイズ発生装置でも入れておいて欲しい。

タイトルとURLをコピーしました