働きたくない診断チャートを作ったよ

レッツ診断!

【診断A】「仕事がそんなに苦痛じゃなくて、そこそこ人生も充実している」

【診断B】「仕事はなんとか続けているけど、定年まで働ける気はしない…」

【診断C】「特技や趣味、食っていけるような技能を持つ、働きたくない人」

【診断D】「人生はめんどくさいけど、全てに絶望している訳でもない」

【診断E】「人生に絶望していて、もう死んでしまいたい」

【診断F】「働きたくないけど、贅沢な生活もしたい」

【診断A】「仕事がそんなに苦痛じゃなくて、そこそこ人生も充実している」→普通に働きましょう

こんなブログを書いていると勘違いされてしまいそうだが、真っ当に働くという選択を否定している訳ではない。

むしろ、それが苦でないのならば、普通に働くべきだろう。

正規雇用は安定感やボーナス、世間体なども含めて得られるものが多い。

お金を稼いで、家族を持つような一般的な幸せも存在するはずだ。

社会に適合できる人は、そのままに社会で幸せとされているような生き方を目指せばいい。

自分が主張したいのは、「社会適合者には社会適合者の幸せがある。社会不適合者には社会不適合者の幸せがある」ということだ。

全員が同じ「一般的な幸せ」を目指すからおかしなことになってしまう。

ひとりひとり幸せの形が違うのは当たり前である。

「バリバリ働いて、家族を作って、車を買って、ローン組んで家を買って、子供を作って、どんどん消費して、…、それが日本に生きる人の幸せです」

そのような価値観は国や資本家、テレビ(スポンサー)などにとって都合の良い「幸せ」を押し付けられているに過ぎない。古典的な幸せ、昭和的な幸せだ。

(ただ、純粋な「自身にとっての幸せ」と重複しているのならば、別にそれは構わない)

これからの時代を生きる為には「自分の幸せは自分で決める」という能力が必要なのだと思う。

サラリーマンとして生きる幸せも存在するし、ニートとして生きる幸せも存在する。

自分で決めたことなら、どちらでもいいのだ。

【診断B】「仕事はなんとか続けているけど、定年まで働ける気はしない…」→セミリタイアを目指す

ゴールが見えないということはとてもキツい。

「あと40年も定年退職まで労働を続ける…」

そんなことを考えるだけでおかしくなってしまいそうになる。

そこで提案したいのがセミリタイアだ。

リタイアとはその名の通り、早期退職のことである。

ただ、完全に働かないで老後まで生きていくとなると、1億円以上は必要となるという。

よほど給料のいい仕事、何かで一発当てるセンスが無ければ、実現は難しい。

普通の人でも実現可能であることを考えると、セミリタイアになるだろう。

セミリタイアは1000万〜5000万円程度でリタイアしてしまい、残りは投資、副業、バイトなどで暮らしていくというスタイルだ。

(中には数百万円でリタイアしてテントで暮らしているような人もいる!)

診断Bに辿り着いた人は、正社員で働けているという大きなアドバンテージを持つ。

働かない生活の為に働く、そんなことをモチベーションに、ゴールが見えている状態ならば頑張れるのではないだろうか。

自分は人生リタイアしているようなものではあるが、セミリタイアについてそこまで詳しい訳ではない。

セミリタイアについて情報を発信している人々も多くいるのでチェックしてみるのもいいだろう。

(セミリタイアブロガーの人はクセが強い人が多くて面白い)

ヨーロッパやアメリカでは「FIRE(Financial Independence(経済的自立), Retire Early(早期リタイア))」、中国では「寝そべり族(最低限の労働で質素に生きる)」が流行している。

飽和した資本主義において人々が行き着く先は「なるべく働かないこと」であるのかもしれない。

【診断C】「特技や趣味、食っていけるような技能を持つ、働きたくない人」→一芸持ちニートとして生きていく

世の中、いろんな人がいた方が面白い。

なにか持っている人、または懸けてみたいものがある人はそれをとことん磨くのはどうだろうか。

チープな言葉だが、人生一度きりだ。やりたいことはやっておいた方がいい。

イラストレーター、フォトグラファー、ミュージシャン、ライター、プログラマー、トラベラー、デイトレーダー、インターネット芸人…

なんでもいいのだが、頑張るというよりは好きなことをひたすらやるべきだろう。

「働いているつもりはないけれど、なぜかお金は入ってくる」

そんな状態に到達できたのなら、あなたもネオニートだ。

【診断D】「人生はめんどくさいけど、全てに絶望している訳でもない」→テキトーに生きていく

これは自分(僕)のことでもある。

世の中、めんどくさいことばかりだから、もうテキトーに暮らしちゃおうぜ、ということだ。

社会的なしがらみから解放されたのなら、この国も悪くない。

古今東西から見ても「21世紀の日本でその日暮らしをする」ほどイージーなこともないだろう。

安定した衣食住に、医療や科学技術の恩恵、治安の良さも素晴らしい。

本来、人間なんてものは飯を食べて暖かい布団で寝れるのならば、充分に幸せなのだ。

多くの人は「何かを得れば幸せになれる」と思いがちであるが、あらゆるモノが飽和した現代においては、先入観や精神的な執着も含めて、「何を捨てれば幸せになれるか?」という方向にシフトしていかなければならない。

月曜日から金曜日の朝から晩まで働いて金を稼ぐこと。

競争に勝ち抜いて社会的地位を得ること。

世間体によって家族を持つこと。

莫大な借金を背負って新築の家を建てること。

老後の為に生きること。

これらの「当たり前」が我々を幸せにしてくれることがあるだろうか?

現代社会に違和感を感じる人々はオルタナティブな生き方を模索していく必要がある。

その中でも、比較的に誰でも可能で、ベーシックとなるのが、自分のようなテキトー生活だ。

必要な分だけ働いて、のんびり質素に暮らせばいい。

ポジティブな意味で我々はもっと「その日暮らし」に回帰するべきなのだ。

今日を幸せに生きる事によって、明日も幸せに生きようと思える。それが本来の人間の姿ではないだろうか。

テキトー生活のいいところは可能性に満ちているところである。

【診断C】のように趣味や特技を見つけてそれに熱中してもいいし、【診断B】のようにお金を少しずつ貯めてセミリタイアに移行していくのもいい。

適当(テキトー)には「適切にやる」と「いい加減にやる」という2つの意味がある。

これらを総合的に味わってみると「なるようになるさ」というニュアンスが感じられないだろうか。

【診断E】「人生に絶望していて、もう死んでしまいたい」→「死んだ人」だと思って生きてみる

死んでしまいたい人に対して、無責任に「死ぬな」とは言えない。

その人にはその人の苦しみがあり、死に思い至るまでの思考プロセスに安易に口を出せるものではないからだ。

ただ、ここでせめて提案したいのは「死んだ人」として生きてみることである。

最終的に死んでしまおうと思っているのなら、その前に「死んだ人」になってみるのだ。

「死んだ人」は当然、幽霊みたいなものなので、現世のくだらない価値観に縛られる必要なんてない。

もちろん、仕事なんてしなくてもいい。どこか旅にでも出てしまおう。

死に場所を探しにいくのも面白いかもしれない。

どうせなら気に入った場所で死んでみたいものだ。

最終的に死ぬか死なないかは本人次第であるが、死ぬ前に仮死体験はしておいてもいいだろう。

「やっぱり死ぬの怖いなー」とか「もうちょっと生きてみようかなー」と思ったのなら、テキトーに生きてみればいい。→【診断D】

失うものが無い故に犯罪に躊躇の無い人を「無敵の人」と呼ぶらしい。

ポジティブな意味(犯罪はしない)で無敵の人をやっていくのがいいと思う。

無敵のテキトー幽霊として自由に生きてみるのだ。

それでもダメだったら成仏するしかない。

ナムアミダブツ。

【診断F】「働きたくないけど、贅沢な生活もしたい」→圧倒的ギャンブル…!

この項目に辿り着いたということは、働きたくもないし、お金もたくさん欲しいということである。

正直であることは素晴らしいと思う。

けれども、自分にはギャンブル船に乗ってジャンケンしたり、高層ビルで鉄骨を渡ったり、1玉4000円のパチンコに挑戦したりすることぐらいしか解決案が思い付かない。

本来の問題解決にはならないかもしれないが、「働かなくても金が欲しい!」という正直さと貪欲さを持ち合わせているならば、何があってもしぶとく生きていけるような気がする。

あまり関係ない余談だけど、自分は宝くじを買うのをアリだと思っている派だ。

ただ、あれは「もし3億円当たったらどうしよう…!」というワクワクタイムを買っているだけなので、発売当日に1枚だけ買うのが正解である。

死にたがってる人には宝くじを1枚あげるのもいいかもしれない。診断Eの人に分けてあげよう。

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