ツイッターのエリックホッファーたち

「無職」「ニート」「非正規労働者」「正社員だけど働きたくない」「社会不適合者」「厭世主義者」な人々の投稿をツイッターでよく読む。

個人的に好きなのは30〜40代の文章だ。

20代の人々の文章は「嘆き」の要素が強いのだが、社会不適合であることにも年季が入ってくると、それぞれが自分なりの「答え」を持ち合わせているように思う。

その独自の世界観に惹かれるのだ。

ポジティブな人々もいれば、ネガティブな人々も存在する。

中には、「この人、ちょっと運命が違えば、有名になっていたんじゃないかなー」なんて思う人もいる。

pha氏のようなポジションもあり得たような。

無名でインディーズだからこそ、その人の味が出ているというのもあるのだけれど。

「沖仲仕の哲学者」と呼ばれた、エリック・ホッファー(1902-1983)という人物が存在する。

沖仲仕(おきなかし)とは、船と陸の荷物の積み込みをする仕事、言わばゴリゴリの肉体労働だ。

エリック・ホッファーの人生は過酷なものであった。

7歳の時に失明し、15歳で奇跡的に視力が回復する。

この時から、「再び失明するのではないか」という恐怖に襲われ、毎日貪る様に読書に励んだそうだ。

18歳の時には、唯一の肉親であった父親が亡くなり、ロサンゼルスの貧民窟で暮らすようになる。

放浪と日雇い労働の日々を送り、合間に読書と勉強を続け、正式な教育を受けていないのにも関わらず、独学で大学レベルの内容を身に付けたという。

28歳の時には自殺を試みたこともあったが、一命を取りとめ、40歳を過ぎた頃からは沖仲仕として労働を続けた。

そして、遂に49歳にして初の著書が発行され、大きな反響を呼ぶことになったのである。

その後、発表を続け、ついには大学教授にもなったが、65歳まで沖仲仕の仕事をやめることはなかったという。

つまり、我々のような一般市民が趣味で思索を続けたり、文章を残すことも、全くの無意味ではない、ということを伝えたかったのだ。

無職でも、非正規労働者でも、もしかしたらツイッターの中からエリックホッファーが誕生するかもしれない。

エリックホッファーは「働くこと」を重要視していたという。

労働時間が存在していることによって、空いた時間を思索や読書など有意義に過ごすことができる、ということだ。

特に、肉体労働とは無縁で、頭でっかちだけである知識人に対しては、彼は辛辣な態度を取っていたのだとか。

ヒッピーに対しても「甘やかされた子供」と述べ、その対照的な人々であったスクウェア(ブルーカラーの勤労青年)を評価していたそうである。

自分は「働かなくて済むのなら働かない方がいい」と基本的に考える。

そりゃ、働くのなんてめんどくさいし、だるいし、嫌なことばかりだし、働かなくて済むのなら働かない方がいいだろう。

けれども、ホッファーの言っていることも分からなくない。

労働時間によって生活にメリハリがつくのはもちろんのこと、適度なストレスは人を駆り立てるのではないだろうか。

世に名を残した人々の多くは、挫折やストレスによって、屈折しひねくれ、その反動を何かに昇華しているはずだ。

ぬくぬくとした室内で、一生飼われるような生活を送ることができたのならば、死ぬまでハッピーなのかもしれないが、その人が飛び抜けた成績や作品を残すということはあまり無いように思う。

とはいえ、現代は「労働」と「ストレス」の量が多すぎる。

適度なバランスによって、優れた作品は産まれるのだ。

特に、芸術性を持つセンシティブな人々に対して、週5で8時間の労働はやり過ぎである。

「この世に作品が生み出される可能性が潰されている」

労働を憎む理由がまた一つここに誕生したのであった。

ホッファーのライフスタイルが人生の参考になる人もいるのではないだろうか。

他の作家でも、若い頃は肉体労働をしていたという話も聞く。

かくいう自分も、ホッファータイプの人間かもしれない。

生活の為、清掃業のバイトを時々しているのである。

もちろん体は疲れるけれど、接客業やめんどくさい人間関係に比べたら、個人で掃除をしていた方が100倍マシだ。

「なるべく働かない」を目指すのならば、方向性は2つに絞られると思う。

まずは、「ライフワーク」を探究する方法。

生きがいと思えるような仕事、つまり「働いてるつもりは全然無いのにお金が入ってくるような仕事」を見つけ出すことである。

好きなことをやっているだけで金が入ってくるのならば、それはもはやネオニートだ。

但し、仕事を見つけ出すこと、それでずっと食っていくことはもちろん難しい。

もう一方、ホッファータイプの方法は「ライスワーク」と「ライフワーク」を分離することである。

ライスワークとは、ライス(米)、つまり食っていく為だけの仕事のことだ。

生活の収入をライスワークで得て、空いた時間でライフワークを行うという訳である。

こちらの良いところはライフワークにおいて「儲け」や「忖度によるブレ」を気にしなくてよい所だろう。

しかし、強い人間でないと、ライスワークに人生の主導権を握られてしまうという問題も発生する。

結局、人間は週5で働いた方がいいのか、ニートでいれるならニートでいた方がいいのか、それとも適度にバイトでもした方がいいのか、今の自分に正解は分からない。

社会不適合者であることに対して、独自の答えを持ち合わせていないし、答えなんて存在しない気もする。

けれども、何か気付きがあったのなら、同じタイプの人々に還元していきたいとは考えている。

このままテキトー生活で、老人までそこそこ楽しく生き延びることができたのなら、若い人たちに「仕事のせいで首吊って死ぬぐらいならさっさとやめちまえ〜」「生きてればなんとかなるよ」とデカい声で伝えたい。

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