2〜3日前ぐらいから、ハードな虚無モードに突入してしまっていた。
労働もできず、文章も書けず、本も読めず、インターネットを眺めるのさえしんどい。
一旦ハマってしまうと、布団の上で廃人として時間を過ごすしかなくなる。
こういう時にはスーパー銭湯に行ってサウナに入るしかない。
「やる気は後からついてくる」というけれど、だるくても体を動かす必要があるときは、まさしく四肢を動かすことに集中するべきなのだという。
漠然と「スーパー銭湯に向かう」という動きをしようとするのではなく、ラジコンのような感覚でスーパー銭湯まで体を操作するということだ。
確かに、いくらだるくても手足が全く動かせないということはない。
とはいえ、何が悲しくて自分をマリオネットのようにコントロールしてまで生きなければならないのか。
その辺りも含めて人生はめんどくさい。
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今回は少し長めに電車で移動し、行ったことのないスーパー銭湯を訪問してみた。
ここのサウナ室はよかった。
いいサウナ室ってなんだろう、と考えてみると「温度と湿度のバランス」「ストーブのタイプ」などうんちく的な方面も思い浮かぶけれど、フィーリング的に言ってしまえば、「あなぐら感」「隠れ家感」「秘密のアジト感」があるものだ。
オッサンの溜まり場というか、サウナ窟というか、ダウナー感に溢れている場所は基本的にサウナのセッティングもいいように思う。
たぶん、いいサウナ室というのは自然と疲れたオッサンに好かれてしまうものなのだろう。
最近のおしゃれ系サウナは例外としても、伝統的スーパー銭湯で人気なところは大体そんな感じだ。
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サウナの後は水風呂に入り、露天の椅子で休憩する。
この日は雨が降っていたのだが、それが逆に当たりだった。
訪れたスーパー銭湯の周りはちょっとした森に囲まれていて、「自然の中、全裸で雨に打たれる」というシチュエーションがなんだか気持ちよかったのだ。
別に変な性癖があるとか、そういった話ではないのだが、開放感というか、原始的な人間の在り方を体験している感じがした。
「生きてるなー」という感覚である。
でも、これは現代人だからこそ味わえる快楽であって、原始人が全裸で雨に濡れたとしても、後に乾かすのが大変だったりして不快感が勝るのだろう。
雨に濡れた後に暖かいシャワーを浴びて、ふかふかのタオルで体を拭けるからこそ、心の底から気持ちいいのである。
そんなことを考えると、やはり現代は快楽のバリエーションには恵まれているなー、と思う。
風呂上がりに食べたカツカレーもおいしかったし。
近年にトンカツとカレーが邂逅したからこそ生まれた文化だもの。
「ずるい」生き方なのかもしれないけど、現代の良いところだけ享受して、悪いところをスルーして、のらりくらりとやっていきたい。