僕らは時間をお金に変えている

「労働とは、時間をお金に変えることである」と何かの本で読んだことがある。

非常に簡潔で分かりやすい説明だ。

我々が金を得るためには「自分の時間を売る(労働)」か、「資本(価値を生み出すもの)に働いてもらう(投資)」のどちらしかない。

別の例だと、こんなツイートを見かけたことがある。

「お金は欲しいけれど、10億貰える代わりに90歳の老人と身体を交換しなければならないとしたら、誰も引き受けないよね」

確かにその通りだな、と思った。

みんなやたらお金を欲しがるけれど、もっと時間を大切に生きてもいい。

何もせず、存在しているだけで、発生するのも最高だ。

あと、時間をお金にすることはできるが、お金を時間にすることはできないだろう。

死にかけの大富豪がどんな大金を積んだって手に入らないのが「時間」なのである。

(強いて言えば、飛行機や新幹線、ハイテク家電などで「時間は買える」けど)

働きたくない人にもいろんな人がいる。

自分は最低限だけ働いて暮らすような「寝そべり族」だけど、ある程度の貯金を作り、その後は配当金とバイトと低コスト生活で暮らすような「セミリタイア」を目指している人もいるだろう。

そういう生き方もめちゃくちゃアリだなー、と思う。

万が一のときに貯金があるという安心感も生まれるし。

自分も心身共に健康でサラリーマンをしていたならセミリタイアを目指してたかもしれない。

まともに就職してまとまったお金を稼ごうかと考えたこともあるけれど、(別に悪いことだとは思っていないが、あえてこう呼ぼう)「堕落」した精神で、今から万単位の配当金を得られるような金額を貯めるのは難しいように思う。

デスノートの主人公みたいに、一時的にニートの記憶を消して(社会的な)真人間になりたい。

そして、10〜15年真面目に働き、コツコツと貯金をした後に記憶を取り戻し、「計画通り(例の悪い顔)」になるのだ。

とはいえ、さっきのツイートじゃないが

「1000万円貰える代わりに、一瞬で15年分歳を取る」

と言われたらそれなりに悩む。

そして、おそらく受け入れないだろう。

どんな年齢の期間でも「だるい」「めんどくさい」「ねむい」「働きたくない」とか言ってるのかもしれないけど、それはそれでいらない時間ではないというか、自分は「無駄な時間を過ごすこと」を別に無駄だとは思っていない。

むしろ、社会や広告の圧力によって生まれた、「時間は有意義に使わなければならない」という思い込みこそが、大切な「無駄な時間」を無駄なものにしてしまっているのではないだろうか。

極端な話、マクロ(宇宙的なスケール)で考えれば、いつか人類も地球も滅びるので、ミクロ(我々の人生)で行われる行為は、一生懸命働いていようが、ひたすらゴロゴロしていようが、等しく無意味なのである。

何をしたって無意味で虚しい世の中に生み落とされてしまったのならば、せめて楽しく「やり過ごしたい」と思ってしまうのは別におかしなことではないだろう、と主張してみたい。

「働きたくない」と口で言う人は多いが、なんだかんだみんな仕事を続けてしまう。歳を取るまでズルズルと働いてしまうのだ。(別にそれが悪いことだとは限らないと思うが)

本当に働かない(働けない)”マジモン”は主に3種類に分かれるように思う。

まず、第一に「なるべく働かないように生きることを決めた人々」だ。

「仕事が人生の目的ではない」「社会的地位を望まない」「質素な生活でも構わない」とある程度に腹を括った人々である。

第二に「目標金額を貯めたリタイアラー」だ。

突然無職になるのには勇気がいるが、「〜万円貯めたら辞める!」「その後は月◯万円で暮らして…」ときちんと計画を立てたのなら、理詰めによって後押しされ、実行も可能だろう。

第三に「無職になってしまった人々」である。

鬱病、パワハラ、過労、無能人間、など様々な理由が存在すると思うが、何か理由があって無職になってしまった人々だ。

このような人々は「第一」に移行する可能性も秘めているのだが、危険な状態であるとも言える。

ハンターハンターで例えるならば、無能力者が念能力者に攻撃され、無理矢理に念能力を引き出されたようなものである。

そのショックから死んでしまう人も少なくないはずだ。

現に自分も死にかけたが、今はなんとかやっている。無職の『洗礼』である。

誰だって、働きたくないけど、お金は欲しい。

ベーシックインカムに関してこんなコピペがある。

農具が進化して、10人で耕していた畑を2人で耕せるようになった。  

残りの8人は食べていけなくなるのですか? そんなことはないでしょう。  

収穫は変わらないわけですから。少なくとも、今まで通りには食べていける。  

にもかかわらず、日本には『働かざる者は食うべからず』教が蔓延しているので、その8人に食うな、と言うわけです。  

そして、必要のない仕事をつくり出し、それを奪い合わせ、競わせる。  

これは資本家と呼ばれる人たちが、奴隷をつくり出し、搾取するための論理なんですね。  

成熟した国家では、働かなくても食べていける、が正解なんですよ。  

そのために機械やシステムを進化させてきたわけです。  

ただし、働く人はみんなよりもより良い暮らしができるようにする。  

そういう社会を実現しようとしているのが、ベーシックインカムなんです

経済の専門家から見たら突っ込みどころもあるのかもしれないけれど、自分は専門家ではないので、なるほどなーと思ってしまう。

要するに、資本主義というのはごく一部の人々のリアルマネークッキークリッカーに付き合わされているにすぎないのだ。その一方で大半の人々が、搾取や貧困に喘ぐという。

別の例えでは、「走るのをやめたら爆発する、膨張し続ける暴走列車」という比喩も見かけたことがある。

確かに、環境破壊や過剰な技術の向上、それらの”ツケ”がいつ爆発しても、おかしくないように思う。

(「欲望に沿って向上を目指さないと人類の本能的に世の中が成立しない」…と考えれば資本主義が間違っているとも言えないのだが。むしろ現時点では限りなくベターで正解に近いのだろう。とはいえ、「社会の為に生きる」なんていうのは勘弁願いたいものだ)

別に「自然と共に生きよう」などと言いたい訳ではないが、そろそろ「折り返す人々」が増えてもいいんじゃないだろうか。

少なくとも自分はスローダウンして生きていきたい。

「シンプルに、必要な分だけ、時間を金に変えて暮らしていく」

そういう生活も悪くないだろう、と考えている。

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