「そもそも、なぜ宇宙が存在するのか?」
この問い、いつ考えても”ヤバイ”と思う。
「ビッグバンが起こったから」と言われればそうなんだけれど、「じゃあなんでビッグバンが起こったのか?」ということだ。
自分が問うているのは、この世界の根源的な存在理由というか、「宇宙や世界がなぜ在るのか?」なのである。
この空間や時間が存在している理由が分からない。無くてもよかったはずだ。
こういう絶対的な問題のことを考えると、働いてる場合じゃないな、とか思う。(半分ギャグだけど、半分はマジ)
すぐ隣に畏怖すべき巨大な異形が横たわっているのに、みんな知らぬ顔をして日常生活を送っているような。そんな違和感である。
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ここで、ニヒリズム(虚無主義)も含めて頭の中の経歴を書き出してみる。
昔の人々「世界や人間は神様が作った。日頃の行いが良ければ天国に行ける」
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ニーチェ「神は死んだ。キリスト教の価値観に絶対的な意味はない」
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ニヒリズム:人生に意味はない。人間も、地球も、宇宙もいつか滅びる。
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とはいえ、この宇宙や世界、この空間はなぜ存在するのか?
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神が作った?この世は仮想シミュレーション?
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それならば、なぜ神やそれに近い者が存在するのか???
…ということである。
おそらく、これ以上は考えても答えには及ばないし、仮に神やそれに近い者が存在していたとしても、「この世に生まれた」「人間に生まれた」時点で、その存在や思考を理解することはできないのではないか?と思う。
(アリが人間の営みや考えを理解できないように…)
そして、興味深いのが、この世が仮想シミュレーションであった場合にも、こちらでの行動が高次世界にフィードバックされる可能性がある為、倫理的に振る舞おう、という考え方である。
シミュレーテッドリアリティの考え方を広範囲に受け入れることは、危険な状況を生み出す可能性がある。誰もが現実は幻想であると信じていたら、かけがえのない生命という抑制から解放され、犯罪や残虐行為に走ることに躊躇しない者も多く出現するだろう。
さらに、シミュレーション内の他の人々が単なる「ボット」であるという考えに取り付かれれば、道徳観念は全く異なったものとなる。
しかし、シミュレーションが現代のMMORPGの進化したものだとすれば、何らかの道徳観念がそこに生まれると考えることもできる。例えば、シミュレーションのある参加者が別の参加者の手をハンマーで打ったとしたら、感覚のインタフェースによって痛みが感じられ、その被害者が現実世界に戻っても何らかの影響を被っている可能性がある。
ボストロムは来世について次のように述べている。「来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシミュレートされた現世でどう振舞ったかによって決められるかもしれない」
つまり、「高次の存在」を仮定すれば、シミュレーション内で倫理的に振舞うことで、最終的に良い結果が得られるという考え方も成り立つ。
Wikipedia シミュレーション仮説 より
ここで面白いなーと思うのは、このような考えは、ある意味「善い行いをすれば、天国に行ける」のようなものであり、昔の人々の価値観に堂々巡りしている、ということである。
確かに、この世界が超ハイテクコンピューターによってシミュレートされているとするのならば、その上位世界においては、倫理観も超進んでいると考えてみてもいいかもしれない。
すなわち、善人が救われるようなシステムが存在しているかもしれないということだ。
(とはいえ、こんな残酷な世界を生み出して体験する[させる]のが、倫理的とはあまり思えないが。MMORPGというよりは、ビッグバンから始まる宇宙の挙動観察実験なのかもしれない)
結論としては、先程も述べた通り、「この世界の人間である限り分からない」であるのだが、古代ギリシアの哲学者エピクロスは神の存在に対してこのように述べている。
「神様は存在するかもしれないけど、勝手に人間が変なイメージを押し付けるのは失礼だと思う。それに、超越的な存在は煩悩を持たないだろうし、人に危害を加えることもなければ、崇拝したからといって好意にほだされることもないと思うよ。そういうのは弱い者がすることじゃん」
なるほど、非常に同意できる。
ドライでゆるい考えがとてもいい。
現代ならまだしも、宗教的な価値観が強かった時代にこれを言っているのだから驚きである。
それに、この世界がシミュレーション、特にMMORPG型ではなく、宇宙の挙動観察実験型であった場合、「悪い奴がいたから懲らしめよう!」などと、実験途中に意図的な操作を加えるのは非常にナンセンスであるし、我々が微生物の挙動を観察していたとしても、「どの微生物が善で、どの微生物が悪なのか」なんていうことは全く分からないようにも思う。
そもそも、善悪などという考えが、下位世界特有の観念なのかもしれない。
長々と述べてしまったが、結局のところ、我々は自分にできることをやっていくしかないのだろう。
「宇宙!神!」とか「この世はシミュレーション!」とかマクロなことを考えてみたところで、我々にとってはこのミクロな日常生活こそがリアルなのだから…。