人間は必ずどこかで挫折する

大学時代の友人がツイッターでつらそうにしていた。

会社の業務になかなかついていけないらしい。

自分から見て、彼はとても優秀だったように思う。

テストや成績も上位だったし、大学院にも進学して、企業も有名なメーカーに入った。

けれども、その中では「無能」なポジションらしい。

謙遜している可能性もあるが、切羽詰まった様子でもあったので、おそらく本当なのだろう。

ピーターの法則、というものがある。

Wikipediaから引用してみよう。

1. 能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。

2. 時が経つにつれて、人間はみな出世していく。無能な平構成員は、そのまま平構成員の地位に落ち着く。また、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は、無能な人間で埋め尽くされる。

3. その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。

Wikipedia ピーターの法則 より

つまり、能力主義の社会では、自分が「有能」であるところまで、進学や出世をするが、ある程度のレベルまで進み、周囲の者の能力も上がっていくと、「無能の壁」が立ち塞がり、そこで挫折してしまう、という訳である。

中学校や高校で挫折する人もいれば、大学や企業で挫折をする人もいるだろう。

自分は大学時代に無能の壁にぶつかり、社会からドロップアウトしてしまったが、友人は企業内で無能の壁にぶつかってしまった、ということだ。

そして、これはピーターの法則の意図から少し離れるが、どんなに優秀な人間だって、老いや病気には勝てない。

人間は必ずどこかで挫折するのだ。

とはいえ、挫折するのも悪くない。

むしろ、挫折してからが本当の人生なのかもしれない。

一般的に、人生というのは能力を持ち合わせている分だけ、社会のレールに沿ってオートに進んでいくが、無能の壁にぶつかりドロップアウトすると、文字通り、この世の中にあてもなく放り出されることになる。

こうなってしまった人間は絶望し、苦悶し、嘆き、葛藤することになるのかもしれないが、最終的にはそれぞれが何かしらの結論を出して、どこかに歩き始めることになる。

この「歩み」こそが、本当の人生だと言ってもいいのではないだろうか。

自分はこれからどうなるのだろう。

ずっとニートやフリーターみたいな生活を続けたりするのか、何かをきっかけに就寝するのか、それとも突発的に死んでしまったりするのか。

将来はよく分からないけれど、ぼんやりともやがかったように、社会のレールに乗っかっていた時よりは、生きているという感じがする。

不安定な人生だからこそ、メメントモリを感じられるのかもしれない。

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