脳内231015

孤独感・メタ感・離人感は脳のリソースが余ってるときに発動するな、と思った。

人とコミュニケーションしているときは、脳のリソースに余裕が無くて、自分をメタ視点から見ることができないから。

 

言い換えれば

「孤独」↔「交友&充実」

みたいな対になる状態が存在しているのではなくて

「孤独」↔「『孤独』と考える余裕がないだけ」

なのだと思う。

(例)「1人で飯を食べてもムナしい(味がする。だからなんだんだ)」↔「他人と飯を食べてるときは、自分の感覚を客観視する余裕がないだけ」

 

だから、これは個人の主観も入ってそうだけど、基本は孤独なのだと思う。

孤独じゃないときは、孤独なことをうまく忘れられているだけ。

 

五感に起こる感覚……と表現すると個人的にはいささか分別が進みすぎているのだが、とにかく目の前に「これ」が起きているという事実がある(みなさんもそうですよね??)。

普通の人とか哲学系の人は、多分「これ」のことを「ある」とか「起きている」とか「発生している」とか捉えるんだと思うけど、宗教系の人は「与えられている」と捉えるのかな、と思った。

確かに、「これ」って別に自分が欲したわけではなくて、向こうから「与えられる」ことが先行しているような気がする。

もちろん、バイアスとか恣意的な判断で、好きなものとか知っているものが目につきやすいっていうのはあるんだろうけど、プリミティブというか、オリジナルの「これ」が与えられていることは否定できない。

ペシミスティックな人は、そういう与えられた「世界」とか「現実」に対して嫌悪感を表したりするんだろうし、あとはシリアスな話をすると、障害とか虐待とかハードな問題を抱えた人も運命を呪ったりするのだと思う。

まあ、でも中身は何にしろ、「与えられていること」自体に感謝してみる、という考え方はあるのかもしれないな、と思った。

中身がとんでもなくいらないものだったとしても、プレゼントを贈ってくれた気持ちを無下にするのはよくない、というか。

死ぬ前で苦しかったとしても、それはそうとして「私は与えられている」、と考えることもできる気がする。

(脳科学的に言えば、「感謝すると脳内物質(セロトニンとかドーパミンとか)が出る」と「(普通に)感覚を認知すること」が結びついて最強になるのだと思う。たぶん)

 

死問題。

死ってやっぱりどうやっても「分からない」のが問題だな、と思う。

(エピクロスが「私が存在するときには死は存在せず、死が存在するときには私はもはや存在しない」と言っていたように)

「分からない」が故に、「な~んだ、超気楽やん」って人と、「死ぬの怖すぎワロタ」って人に分かれてしまうのだと思う。

 

たまに、フィクションでヤクザが「死ぬよりつらい目に合わせたろうか」みたいに脅すシーンがあるけど、それってちょっとズレてるんだよな。

死自体は別に苦痛ではないから。それは、死の分からなさを恐れる気持ちと、死に至るまでの苦痛を混同してしまっている気がする。

 

考えてみれば、世の中に「過程は苦痛だけど、結果は喜ばしい」みたいなコトって結構あると思う。

山登りとか。登るのは苦痛だけど、てっぺんで景色観たらサイコーだろう。

死だって過程はほぼ苦痛だけど、最後はどうなってるか分からないよね。

 

あとは、マッドサイエンティスト(マッドフィロソファー?)というか、探究者的な態度で死ぬのもアリかもしれない。

「これで死に限りなく漸近できるぞ…ワハハ」みたいな。

まあ、気になるっちゃあ気になる。哲ボーイと哲ガールは最期をお楽しみに。

 

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