『アッコちゃん』を読んだ

あんまり時事ネタやジェンダー論争には触れたくないのだが、いい機会かなと思うので、自分の考えをまとめておく。

もう読んだ方もいるかもしれないが、バズっているのは『アッコちゃんは世界一』という漫画だ。

ツイッター検索すれば、すぐに出てくると思うので読んでみて欲しい。

もう何百回も見てうんざりしているような流れだが、騒動の大まかなあらましは

社会に搾取される女性!→男「女の他責思考(笑)」

という、ありふれたインターネットバトルである。

この漫画は最終的に、周囲から”女性”として搾取され続けてきた主人公を、自殺寸前の所で友人が連れ出して、2人でどこか逃避行へ向かう…というオチなのだが、これに対してこんな批判がされている。

「これまで全てを社会のせいにしてきた2人が、今後幸せに暮らしていける訳がない」

実際、漫画の中では、(男)社会や家族、地域の人々が過剰に悪として描かれており、「女性は一方的な被害者(≒すべて悪いのは男や社会である)」という演出が押し出されている。

もちろん、女性個人の尊厳を無視するような社会の風習は事実的な問題であるが、この漫画においてはそれが過剰であり、他責的だと指摘されるのも分からなくはない。

とはいえ、ストーリーに話を戻すと、彼女たちがこれをきっかけに社会や家庭を離れ、今後は自分の考えで、自分で責任を負って、自分の意志で生きていく、という可能性だって充分に考えられるはずだ。

この物語のエンディングがまさにターニングポイントであった、という解釈もできるだろう。

そんなことを考えると、「幸せになれる訳がない」なんて断言する事はできないし、やっぱりインターネットのジェンダー論争なんかは「いちゃもん」をつけたいだけなんじゃないかと思う。

まず、僕が思っているのは

「最近の若者は~」「老害は~」「クソオスは~」「女さんは~」

みたいなヤツは、「だいたい9割ぐらいの人はまともなんだけど、一部の人の振る舞いを吊るし上げて、全体を叩いているだけ」ということだ。

このブログやツイッターでは、「○○が嫌い」という発言をすることは控えているのだが、今回言ってしまえば、そういった価値観に支配されてしまっている人々が、僕は好きじゃない。

実際、グループによって、そのような傾向が無い訳ではないのかもしれないけれど、若者でも老人でも男でも女でも、現実で話してみれば、ジェンダーや昭和的な常識に依らない、フラットな価値観を意外と持ち合わせているように思う。

そもそも、なぜ異性を憎んでしまうのか?

多くの場合はインターネットの雰囲気に呑まれて、誰もが抱きがちな小さな火種を、扇動されてしまっているのだと思う。

それを生み出してるのは、ジェンダー論客というか、インフルエンサー的な立場の人たちだと思うのだけど、その人々の思うがままに、兵隊となったり、有料noteを買わされたりしてる様子を見ると、なんだか虚しくなってくる。(お仕事でやってるだけかもよ)

この記事を書いていて思ったのは、僕は「視野が狭い人」や「怒りに支配されている人」が苦手なんだろうな。

男も女もそれぞれ辛いに決まってる。それは比較するようなことじゃないし、向こうのグループ全体を批判するようなことでもない。

そもそも、男女関係なく、人間として生まれてくること自体が「苦」なのであるという、全体的な結論に至る人がいてもいい。

僕も、ジェンダー的な問題というか、母親にはかなり苦しめられた。

小さい頃から「男なら、良い大学に入って、良い企業に入って、良いお嫁さんを貰って、良い家庭を築きなさい!」ということをヒステリックに何回も繰り返し言われた記憶がある。

そういう価値観に従って、勉強を頑張ってみたりしたけど、結局鬱病になったりして、今はその日暮らしをするような人間になった。

僕は母親のことをどこかで恨んでいるし、ぶっちゃけ女性の感情的な面を見ると、苦手意識がどうしても出てしまう。(これは女性批判ではなくて、僕がそうであるだけ、という話だ)

結局のところ、僕は母親の言っていたことのカウンター的な生き方をしているような気がする。

今まで、人と付き合ったことは何回かあったけれど、自分が結婚したり、子供を持つようなイメージが湧かなかったし、それを望むようなこともなかった。

サラリーマンとしてローンを35年も払うのも嫌だし、これからもテキトーに生きていくのだろう。

僕も「家庭や社会のせいで鬱病になった」とか「男としての責任を負わされている」とか考えなかった訳ではない。

実際、現実問題としてそのような要因もあると思う。

けれども、結局は自分で人生を考えずに、周りに全てを委ねてきたツケが回ってきたんじゃないか、というのが個人的な結論だ。

そういった意味では『アッコちゃん』にも、批判の余地が無いわけではない。

これはもう、「自由意志は存在するのか」とか、そういう話にもなってくるが、いわゆる「親ガチャ」とか「性別ガチャ」とか、個人ではどうすることもできない問題もあるのかもしれないけれど、少なくとも、自分で人生を切り開いていくような姿勢が、生きることには必要なのではないだろうか。

 

…と、まあ、偉そうなことをいいつつニートしてるだけであるのだが。

でも、現代社会で「何もしない」っていうのも、それなりに勇気がいることではあると思う。

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