呪術廻戦の映画みた

呪術の映画見に行ってきた。

良かったところはなんだろう。

イントロダクションが丁寧だったところとか、アクションが流石に気合い入ってて気持ちよかったところかな。

悪かったのは、妙なチグハグ感っていうか、元々読み切り連載版だから色々荒い所があるのと、あと連載版のキャラが後付けで登場したりするから、なんか全体的にまとまりの無さを感じてしまった。

そりゃそうなんだけど、「良い映画を1本作るぞ!」ってモチベーションで初めから作られたようなものではない。

あと、誰が悪い訳でもないんだけど、やっぱり乙骨が喋るたびに、シンジくんが出てきてしまう……。

声優の人選や演技に問題があるとかじゃなくて、脳内のノイズとして、どうしてもシンジくんが出てきてしまうんだ……。

呪術の映画、第2の鬼滅とか言われてるけど、大衆向けの作品じゃないよなって思う。

中高生とか、オタクとか、ジャンプおじさんが見てる漫画っていうか。ハンターハンター的なポジションだよね。

そういう感覚があるから、世間でプッシュされていると、なんだか違和感がある。

そういえば、夏油が出したオカメみたいなヤツなんだったんだろう……。

映画版でその辺りも描写されるのかと思ったら、やっぱり出されただけだった。

せっかくだから自慢したかったのかな。

少年漫画読みまくったから、予言しとくと、自分は最終決戦辺り、夏油(偽)の精神世界の中で、肉体の情報に存在していた夏油(本物)に、真人が「あんたが本物の夏油か」「やられっぱなしは癪じゃない」みたいな問いかけをして、無為転変で一時的に復活すると思う。

(ただの願望かもしれない)

自分は呪術応援してる方なんだけど、ネットだとパクリって叩かれがちだ。

まあ、言いたいことは分からなくもない。

NARUTOっぽい人間関係とか、ハンターハンターな能力設定とか、BLEACHみたいな必殺技とか。

作者もたぶんアラサーとかで、自分と見て育ってきたものが近いんだろうな、とよく思う。

韓国映画とか、洒落怖とか、SIRENとか、好きなんだろう。

パクリってなんなんだろうな。

個人的に思うのは、フォーマットとオマージュの中間だと、パクリっぽく感じてしまう。

フォーマットっていうのは、形式っていうか、テンプレっていうか、あるあるっていうか。

例えば、さっき挙げた歴代ジャンプ漫画の設定に似てるっていうのは、あんまり気にならない。

少年漫画ってそういうものだから、被ったり設定が流用されるのは仕方ないだろっていう。

あと、明らかなオマージュとかパロディも別に気にならない。

ネットだと、伊藤潤二の『うずまき』が必殺技として使用された時は、めちゃくちゃ叩かれてたけど、(不許可だったとかそういう問題は別として)、呪術を冠する漫画で、レジェンドホラー漫画のオマージュを必殺技として使用するのは、いいセンスじゃんって思った。

個人的に気になってしまうのは、このどっちつかずのような、フォーマットとオマージュの中間のもの。

例えば、漫画『バガボンド』で、集中しすぎて涎を垂らすっていうシーンがあるんだけど、これが呪術でも同じ演出をされたときはなんかモヤっとしてしまった。

「フォーマット←(この中間がパクリ)→オマージュ」って感じだろうか。自分の中の感覚では。

結局、物語や創作なんて、インプットとアウトプットだけなんだから、「どれだけ色んなところからパクれるか」と「どれだけそれらを自分の中で昇華できるか」ってところになってくると思う。

しっかり消化されたものや、パロディとしてそのまま出されたものは気にならないけど、未消化のゲロみたいなものに自意識を添えられて出されてしまうと、人は不快になってしまうのだろうな。

ちなみに一番好きなキャラはお兄ちゃんです……。「どけ!俺はお兄ちゃんだぞ!」のシーンくそ笑った。

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