あけおめ2022

あけましておめでとうございます。

年末年始ってなんだか疲れるな。

冬って本当は何もしたくない……。

寒いし、だるいし、家から出るのが億劫だ。

周囲の雰囲気に呑まれてしまうところがあって、そのギャップにいつも疲弊しているような気がする。

けれども、たまには忘年会や新年会で、最近会っていなかった人と久しぶりに会話してみるのも悪くない。

特に、ニートみたいな単調的な生活をしていると、自分のリズムとか波みたいなものが一定化してきて虚無に陥りやすいからだ。

最近の状況とか、ハマってるものとか聞いたりして、取り入れたりしてみると、刺激になったりする。

あと、初詣でおみくじを引いてみるのもいい。

自分は基本的に科学主義者だけど、どちらかと言えば占いに耳を傾けてみるタイプだ。

こんなツイートをしたけど、自分の人生に変化を加えるものとして、おみくじを参考にしてみるのも面白いと思う。

ちなみに、自分は「心配事もあるけど、迷わずやれば最後には上手くいく(大吉)」らしい。

サンキューゴッド。

神様っているのかな、ってよく思う。神社とか行ったりすると特に。

(ここでいう神とは、超越存在・上位存在的なアレ全般である)

別にスピってる訳ではないんだけど、科学とか哲学的な領域から追究しても、「神がいるのか?」と考えてしまうようなハードプロブレムは存在する。

あとはシンプルに「なぜこの世界(宇宙)が在るのか?」ということだ。(当たり前に受け入れているが、そもそもこの世界は無くてもよかったはずである)

ビッグバンが起こったからと言われれば、そうなんだけど、じゃあ「なぜビッグバンが起こったのか?」という疑問が続く。

やっぱり神が世界を創造したのだろうか。

けれども、それでは、「なぜその神はなぜ在るのか?」となる。

神を作った神、その神を作った神……、という終わりなき構造なのか。

絶対的な存在、初めに在るからこそ神なのだって言われたら、それ以上はなんとも言えんけど。

こういう系の疑問では、現代哲学者のマルクス・ガブリエルが面白い問いかけをしてる。

Q.あなたはどこにいる(ある)のですか?

A.日本です。

 

Q.日本はどこにあるのですか?

A.地球です。

 

Q.地球はどこにあるのですか?

A.宇宙です。

 

Q.宇宙はどこにあるのですか?

A.この現実の世界に……??

 

Q.現実の世界はどこにあるのですか?

A.自分の意識(認識)の中に……???

ガブリエル曰く、「私」は宇宙の一部でもあり、宇宙は「私」の一部でもあるという。

結局、この世界(我々が認識している世界)というのは、(真の)現実世界の一部を切り取って、人間(自分)が勝手に作り上げているにすぎないのだろうな。

(生物学者のユクスキュルは、生物がそれぞれの感覚器官によって世界の断片的な情報だけを捉えて、その世界に生きていることを「環世界(かんせかい/umwelt)」と呼んだ)

例えば、牛や馬は視覚がモノクロに見えているらしい。

こんなとき、人間は「りんごって本当は赤いのに、牛には正しく見えていないんだなあ」と考えてしまう。

けれども、神のような絶対的存在からしたら、「りんごって本当は『縺翫縺ゅ>縺?∴』なのに、人間には正しく見えてないんだなあ」なのかもしれない。

その他で言えば、虫や鳥には紫外線が見えるものもいるし、第六感として磁覚(地磁気を知覚できる)を持つ動物だっている。

これらの生物からしてみれば、世界の見え方や感じ方は人間と違うものであるはずだ。

更に言えば、生物によって、時間や空間のスケールも全く異なるだろう。

そういう意味で、自分が認識している世界とは、自分による解釈にすぎない。

まあ、近代において、世界は科学によって解釈され尽くされてしまったのかもしれないが……。

話がごちゃついてきてしまったけれど、要するに「超越的な存在も否定できないよね」ということである。

神や霊だっているのかもしれない。

それは、天の上にいるのかもしれないし、アニミズムのように万物の裏側(人間に知覚できない領域)にいるのかもしれない。

少なくとも、自分には認識できないが、いると強く感じる人にとってはいるんだろう。

先ほどのマルクス・ガブリエルによる実存(現実に存在する)とは、「なんらかの意味の場に現れること」らしい。

つまり、神だって、霊だって、アニメキャラクターだって、自分にとって意味を持つのなら「現実に存在する」ということだ。

(ただし、ガブリエルは「私とあなたの、共通した場としての世界はない!」と言っている。ここが重要かつ面白い所だと思う)

鉄原子の塊だって意味を持てば、スプーンであるし、炭素やら酸素やら水素の塊だって意味の場に現れれば、特定の人間になる。

科学的に言えば、それが想像上の世界であっても、そこに意味を見出したのなら、神はいるのだろう。

この記事を読んでいる人からすれば、自分(僕)の存在なんて「画面から発される光のパターン」にすぎない。

光のパターンが知識によって文字になり、その文字に意味(人間っぽさ)を見出してもらっているだけなのだ。

本当は存在しないのかもしれないし、それはそれでいいんじゃないかと思う。

インターネットの「この人本当にいるのか?」みたいな距離感はなんだか嫌いじゃない。

そんな感じで今年もよろしくおねがいします。(雑にまとめたね)

p.s.

「実は2chを見てるのはお前と俺とひろゆきだけなんだ…!」みたいなコピペあるけど、その3人だけのインターネットすげえ嫌だな~

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