■ うんこ製造機
ニートはうんこ製造機である。
怠け者・遊び人・穀潰し・遊民・閑人・寝坊助・道楽者・無頼の徒・ひま人・ろくでなし・カウチポテト族・ひも・ぐうたら・のらくら者・エピキュリアン・なまくら・怠惰・油を売る・酔生夢死・ベストを尽くさない・ぶらぶら・ごろごろ・働くのを嫌う・無為・ちゃらんぽらん・極楽とんぼ・イージーゴーイング・三年寝太郎・無為徒食・プータロー・アリとキリギリスである。(連想類語辞典より)
現代において、ニートが経済的に社会に貢献しているかと問われたら、もちろんそうではない。
ただ飯食らいのフリーライダーである。
だが、僕は思うのだ。人類が究極に発展したとき、最終的に生き残るのは「ニート(無為を受け入れた者)」なのではないかと。
■ 究極のユートピア
ここで、究極のユートピアを考えてみよう。
超未来、2XXX年、全ての戦争は終結し、永遠の平和が約束された。
科学技術はシンギュラリティ(技術的特異点)を迎え、テクノロジーは限界を超えて発展した。
その結果、人間は「老病死の克服」「AIとロボットによる労働システムの完成」を得た。
人間はもはや老いず、病にならず、死ぬことはない。
そして、労働は全て機械が行ってくれる。環境に対する配慮、自己メンテナンスも完璧である。
こうして、人類は永遠の休暇を得たのだ。
■ 快楽や苦痛もお手の物
だが、ここで第1の問題が発生する。
それは「退屈」だ。
エネルギーを持て余していた人々は退屈していた。
もはや、旧時代的なスポーツやカルチャーにも飽いてしまったのである。
ここで登場したのが、「フルダイブ型VR(仮想現実)」だ。
フルダイブ型VRの中では、まさしくリアルであるかのように、あらゆる物事を体感することができた。
完成された時代を生きる人々にとって、切れば血が出るような鮮烈な体験は非常に魅力的なものであった。
まさしく、人々は「全てを思い通りにできる」ようになったのである。
■ むな死い
しかし、これらの万能感は人々に深刻な副作用をもたらした。
そう、「むなしい」のである。これが第2の問題だ。
それはまるで、ゲームでチートを使ってしまったかのような。
もちろん、最初は面白い。レベル99に、所持金9999マネー。誰だってはしゃぎたくなる。
だが、その熱が冷めると、途端にゲームは「つまらなく」なってしまう。
チートを使ったことがある方は分かると思うが、なにもやることがなくなってしまうのだ。
人類は目的を失ってしまった。社会を完成させてしまった。
もはや、なんのために生きているか分からなくなってしまったのである。
■ 「ただ在ること」に耐えられるか
そして、第2の問題(むなしさ)から間もないうちに最後の問題が発生する。
それは「自死者の急増」である。(人類は不老不死を得たが、自らの意志で死ぬことはできる)
何もすることがなくなってしまった人々に突き付けられたのは、「ただ在ることに耐えられるか」という最終選別であった。
生活には困らない。娯楽も無限にある。
まさしく、究極のユートピアである。
だが、そんな生活が数百年単位で続いたとき、ついに人間の脳は限界を迎えてしまったようだ。
まさに、堰を切ったように、示し合わせたように、なにかの耐久年数のように、どんどん死んでいった。
■ 新人(にいと)
こうして人類のほとんどは死んでしまった。
生き残ったのはわずかな人々である。
では、どういった人間が生き残ったのか。
それは「無為を受け入れた者」である。
「『ただ在ること』に適合した者」である。
彼らは何もしない。残された社会システムに依存しながら、ただ横になって時間を過ごす。
“新”しい時代を生きる”人”々。
そして、旧時代の「何もしない人」の名称から、彼らはこう呼ばれるようになった。
―――そう、「新人(にいと)」と。
(おわり)