カーストとか住み分けとか

■ はぐれ者のカースト

前にこんな記事を見かけたことがある。

中垣:〔…〕このあいだ『Spectator』のヒッピー特集読んでてんけど、ヒッピーの原点になったビートニクの話が出てきてん。

『オン・ザ・ロード』のケルアックとかのビート文学とか。

ほんでそのビートが流行ったときに、ウィークエンドビートっていうのがいたのね。

 

松田:ウィークエンドビート笑 ズルい笑

 

中垣:真のビートはビート文学者とかビート詩人やねん。彼らはスターやねんな。

ほんで普通のビートは、見た目とかボロくて、金稼げなくて文句だけ言ってる人みたいな感じ。

なんか詩とかやってるけど、別にケルアックみたいになれるわけじゃない、ただ真似してる人達。

で、それよりもカースト的に低い位置にいるのがウィークエンドビートで…

 

松田:ビートニクのカースト笑

 

中垣:実際にカーストがあったんかは知らんけど、まあビートガチ度みたいな話。

で、ウィークエンドビートは文字通り週末ビートで、普段は普通に働いてるくせに週末だけボロい格好して、その辺でデローってしてる。

 

松田:それはそれでちょっといいけどな。

我々はウィークエンドニートである(https://room.commmon.jp/184/)より引用

ビートニク、というのはヒッピーの前身みたいな人々のこと。

1950年代のアメリカに起こったムーブメントで、文学やジャズ、薬物や東洋思想を愛好しながら、ダラダラと暮らしていたという。

引用の話をまとめてみれば、そういうカウンターカルチャー界隈にも、カーストというか、すごい順があったということである。

「ビート文学者・ビート詩人 > それに憧れてるけど普通にダメな人 > 週末にビートになりきってる人」、みたいな。

 

こういう構造って、なんだかんだ今でも引き継がれているよな、と思う。

ニートシェアハウスでも、隠遁生活でも、しょぼい起業でも、だめ連でもなんでもいいんだけど、結局提唱者には、カリスマ性とか才能があるものの、それに憧れている人は普通にダメ人間っていうか、パッとしないワナビーというか。

別に、こういう構造を全面的に批判したいってわけではないのだ。

そういう生き方や考え方の啓発で、救われる人が多くいることも事実だし、それを踏まえれば、提唱者も受け手もwin-winであるように思える。

(僕も個人的にphaさんとか好きですよ)

 

とはいえ、「それって一種の搾取じゃないですか?」とか「弱者をカモにしてませんか?」みたいな批判に対しては、完全に反論もできないような気がする。

結局、提唱者は自堕落な生活を送っても、印税でどうにかなるという側面があるし……。

うーん、「だからこうするべき!」という明確な意見を提示することはできないんだけど、まあニートとか社会不適合者の人は、「そういう構造」を頭に入れておいてもいいのかもしれない。

50年後とか、100年後とかも、同じようなことやってんのかな……。

 

 

■ 分断か、住み分けか

「働きたくない人」とか「社会不適合者」とか、結局は大体3パターンなのかな、と最近思ってきた。

 

まず、1つ目はリタイア生活系の人々。

まあ、資金もそれなりにあって、しばらく働いていた分、基本的に常識や知識もある。

だけど、「あっ、なんかこの人、ちょっと”ズレてる”な」と思うこともなくはない。

あとは、自己責任論者とか、リアリスト的な側面も強いように思う。

それが完全に悪いってわけでもないんだけどね。

 

次に、2つ目は自称ニート系の人々。

おそらく、僕なんかもこのカテゴリーだろう。

このタイプの本質を突けば、「ニートを自称する余裕がある」ってことなのかもしれない。

そこそこの家庭を出ていて、そこそこの教育を受けていて、すぐには家を追い出されなかったり、しばらく暮らしていけるだけの余裕はある。

悪く言えば、ファッション弱者というか、高等遊民ごっこというか。

個人的には、こういうタイプの人々と交流しているのが1番面白いんだけど、まあ”お遊び”的な側面も否めないのかな……とも思う。

 

最後に、3つ目は本当に社会的弱者の人々。

かなり家が貧しかったり、教育的な機会に恵まれていなかったり、精神的な病気や不調で苦しんでいるような。

前もって断っておくと、僕はこういう人々の存在を否定しているわけではないし、救われてほしいと思っている。

けれども、こういう人々は、(悪口とかではなく客観的事実として)まともに話が通じなかったり、性格に難があったり、被害者意識に溺れていたりする。

部外者がどうにかするのはかなり難しい。

おそらく、社会が福祉で助けなければならないのは、こういった人々なのだろうけど、「ニート」「ひきこもり」「うつ病」みたいな問題も、”自称系”の人々のセルフ・ブランディングに利用されて、「ネタ」や「キャッチーなワード」に昇華されてしまったのかな、と思う。

(これに関しては、僕自身も同罪である……)

 

ここで話を本題に戻すと、僕は大体ニートはこの3種類のどれかだと思っているのだけど、この分類、もしくは分断に対してどう対処すべきなのか分からないな、というのが正直な感想だ。

 

結果から言えば、混ぜると荒れるのだろう。

例えば、風の噂で聞いたことを部外者が語るのはあまり良くないのかもしれないが、遁世シェアハウス(山奥ニート)界隈も、①のリタイア系と、③の社会不適合者系が混じったことによってトラブルが発生した、というのを耳にしたことがある。

また、90年代のだめ連でも、精神疾患の人から毎日同じ電話がかかってきたり、どうしても性格的に交流できない人が存在したらしい。

 

うーん、「切り捨て」……というような冷たい態度には反対なのだけど、やはりある程度の「住み分け」は現実問題として必要なのかもしれない。

どちらも煮え切らないようなトピックですみません……。

 

■ 追伸

しかし、自称・社会不適合者系でも、本物のホームレスとまで交流していただめ連はすごかったのかもしれない。

また、主催者が、障害者介助や学童保育のバイトを続けているのも、スジが通っていると思った。

「だめ」サイドの人間を名乗るのならば、これぐらいの器量と信念が必要なのだろうか……。

 

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