コミュニティと弱者救済

今日、Twitterのサークル機能で僕が運営していた「人生なにも分からない」というコミュニティを爆破(削除)した。

これは確か、サークル機能が追加されたときに、「試しになんか作ってみよう」と思って作ったものだから、1年半ぐらい存在していたことになる。

 

なぜ削除に至ったのか。

理由は3つほどある。

 

まず、1つ目に「シンプルに過疎化」である。

最初はちょいちょい投稿があったのだが、今年ぐらいから投稿が少なくなってしまったため、あまり存在意義がなくなってしまった。

 

2つ目は「愚痴サークル化」である。

僕は本来、このサークルを「プチ思索会&プチ読書会」のサークルとして立ち上げた(つもりだった)。

サークルルールにも

① なにか分かったらシェアしよう
② 哲学・宗教・科学・芸術・生活を問わず
③ やっぱりなにも分からない

とちゃんと記載したのである。

更に、お手本ではないが、少なくとも僕はそのようなツイート――気づきツイートや本紹介ツイートを心掛けていたつもりである。

しかし、このサークルは次第に「人生に対する愚痴を垂れ流す会」に変化してしまった。

別に、愚痴や嘆きが悪い、と言いたいわけではないのである。

僕だって「人生クソッタレ~!」と思うときもあるし、ペシミスティックな内容をつぶやくこともあるものだ。

また、後ろ向きなアフォリズムや本を紹介してはいけないというわけでもない。

だが、「愚痴を言うことが目的」になってくると、それは違うなと思ってしまう。

「愚痴サークル化」は過疎化の要因であったようにも感じるものだ。

 

3つ目は、「管理が追い付かなくなってしまった」ということだ。

僕は現在、ニートマガジンのコミュニティに参加している。

そこで、いろいろやっていると、「人生なにも分からないサークル」に投稿したり、管理することが追い付かなくなってしまった。

そういうわけで、不甲斐なく無責任ではあるかもしれないが、爆破させてもらうことにしたわけである。

ルールはしっかり読みましょう(泣)

 

 

僕は基本的にどんな人間でも生きていていいし、弱者は助けるべきだと思っている。

ただ、そうは言いつつも、そのような道徳を掲げて「気持ちよくなっているだけ」なのではないか、という自己批判は免れない。

別に、自分が悪い人間であるというわけではないのだ。

むしろ、自分で言うのもなんだが、親切な人間である方だと思う。

だが、それは生活の出来事の範囲内であって、趣味の交流活動の中で、常に弱者(例えば、延々と人生に対して愚痴や不満を述べている人)と関われるかと問われると、それは難しい。

そういった福祉の仕事に就いている、もしくは宗教的な信念がある。

それだったら、リターン(お金)や仕事だと言う割り切り、もしくは信念や覚悟に基づいた行いとして、実行可能なのかもしれないが、僕には特にそういったものがあるわけでもない。

結局、「ニートでもいい」と言いつつも、一種の「面白さ」や「スキル」を持っている人、もしくは「謙虚な弱者」が好きなだけなのではないか?

本物の弱者と関わる覚悟がないのに、そういった道徳を掲げるのは自己満足オナニーであり、無責任なのではないのか?

そう自分に問わざるを得ないわけである。

 

実際、ニートマガジンでも、メタ的に言えば、いくつか「困ったさん避け」のハードルを施している。

① ブログ記事を書ける人(→ 主体性ある・本を読んでる・まともに思考できる・アウトプットできる)

② ルールの最後に加入方法を記載する(→ ルールを全部読ませる)

③ 僕にDMを送ってもらう(→ 心理的ハードルの高さ・誰でもこのリンクから加入どうぞではない)

というわけだ。

実際、このようなハードルのおかげで、ニーマガはとても平和で何も文句が無い状況であるのだが、どこかで複雑な気持ちはあるものだ。

まあ、コミュニティを維持するためには、ある程度の「住み分け」は仕方がないのだろうなあ、とは思う。

少なくとも、ニーマガは現状このままでいくつもりだ。

 

とりあえずは、無理せずできる(自分やコミュニティが破綻しない)範囲でやっていこうということで……。

 

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