なんだか、久しぶりに日記を書いた気がする。
別に落ち込んでたとか、そういう訳では無いんだけど、脳が日記書くモードじゃなかった。
まあ、気分が乗らない時は書かなくてもいいと思っている。
どんなことも義務になると、一気につまんなくなるし。
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文章といえば、ラーメン評論家のブログを読んだ。途中まで。
まあ、確かに色々キツい。
様々な方面に向けて地雷が埋まっていて、炎上を求めるインターネット大衆に対する万能調味料みたいだな、と思った。
でも、「キモイ = 悪」ではないよなー、とも思う。
インターネットでこういう「キモイ人」をわざわざ見つけて非難するのは、大きい石をひっくり返して、その下に住んでいる虫を晒したり潰したりするものだと、よく喩えられているけど、「キモイ虫」にだって存在している意味はある。
石の下のゲジゲジみたいなよく分からない虫だって、自然のサイクルにおいては役割が存在するはずだし、今回のラーメン評論家だって一定のファンや支持層が存在したのではないだろうか。
それに、嫌味とかではなくて、ああいった文章を書けるのはある意味才能だと思う。少なくとも自分には無理だ。
元AKBのラーメン屋に対する営業妨害やセクハラ(?)は悪なのかもしれないけど、キモイという理由で自分に関係のない虫をわざわざ潰している人も、それなりにキモイ。
『だから仏教は面白い!』のニー仏氏が前にこんなツイートをしてたけど、自分も同感だな。
どういう人が「キモい」かというと、私にとっては「いま叩いていい判定が下っている対象」を叩くムーブメントに、全力で乗っかってゆくタイプの人たちがいちばんキモいですね。その動きはまるで昆虫のようで、冷蔵庫の裏にびっしり張り付くゴキブリの群体を目にしたかのように、心底からゾッとします🌼
石の下のゲジゲジも、それを晒して蠢くゴキブリの集団も、どっちもどっち。
確かに、人間って知的生命体ぶってるけど、社会性昆虫みたいなキモさがあると思う。
思想や行動だけじゃなくて、自分が宇宙人とか上位生命体だったら、国とか街とか建築に対しても、ウワーって思っちゃうかもしれない。
巨大な蜂の巣や蟻塚を見てるようなゾワゾワ感みたいな。
自分には、社会とか集団とか、浮動的な大衆の悪意みたいなものに対する漠然とした嫌悪感が少なからずあるのだろうな。
達観ぶってる自分もそれなりにキモイけどね。