ニートに戻った

1年ぐらい清掃のバイトを続けていたのだけどやめた。

12月からはまたニートである。

別に、仕事内容や人間関係に不満があった訳ではないんだけど、「なんかそろそろ違うな」と思って退職することにした。

まあ、今のところバイトなんて世の中にたくさんあるし、お金がなくなったら別のバイトを探せばいいんじゃないだろうか。

「失うものがない」故のフットワークの軽さってあると思う。

個人的にフィーリング重視なので、その辺の自由度が高いとありがたい。

いわゆる、”無敵の人”とか”ジョーカー”にもなり得るのかもしれないけど、「失うものがない」っていうのはポジティブに捉えることもできるんじゃないだろうか。

ヒーローものの作品で、ヒーローかヴィランかを分けるのは、能力を正義に使うか、悪に使うかだけだ、みたいな。

仏教では「人間は家や土地を持つことに憧れるけど、所持したら所持したで、管理や盗難を憂うことになる」という話がある。

持ってないってことは、ある意味、気楽なことだ。

「酸っぱいぶどう」なニュアンスもどこかにあるのかもしれないけどね。

フォロワーさんが「ニートは時代の最先端」って言ってたんだけど、確かにそうだよな、と思う。

一般的に働かない人は叩かれがちだけど、歴史的に見てみれば、この飽和した資本主義に、ニートや寝そべり族が登場するのは当たり前だ。

かっこよく言えば、改革的な存在である。

でも、それじゃあニートは何をすればいいんだろう。

1つ目は、やっぱり「何もしない」ってことかもしれない。

この現代で、世間の価値観に惑わされず、何もしないってすごい難しいことだと思う。

何もしないということには、逆に価値がある。

2つ目は、個人的な意見だけど、ニート哲学のようなものを打ち立てることではないだろうか。

21世紀の資本主義に生まれたのなら、そこでしかできないことがある。

未来の人々がそれを読んで「ニートってこんなこと考えてたんだ〜」「週5労働とかディストピアすぎる」みたいに考えていたら面白い。

ニートってやたら哲学的なことを考えがちだけど、それは「考えざるを得ない」んだと思う。

日本人は無宗教なんて言われてるけど、多くの人は”労働教”だ。

「正社員として、週5の8時間働くのが人間として正しい在り方」

「結婚しなければならない/子供を作らなければならない/家を建てなければならない」

「労働を45年間続ければ、安らかに死ぬことができる」

そんな風に思い込んでいる人は少なくない。

なんだか、嫌味っぽい言い方になってしまったけど、本人に適性があるのなら、それはそれで構わない話ではある。

むしろ、安易に信仰を失うことは虚無主義(あらゆるものに意味はない)に取り込まれることになるだろう。

そういう経緯も含めて、労働教という価値観を失ったニートは、哲学をせざるを得ない。

もしくは、新たな信仰を見つけるかどうかだ。

結局、虚無から逃れるには、宗教をするか、哲学をするか、しかないのだと思う。

宗教は信じることから始まる。哲学は疑うことから始まる。

なんて言葉がある。

先程も触れたが、そう考えてみると、仏教ってなかなか面白いな、と思う。

個人的な印象だが、仏教は初期ほど哲学的要素が強く、後期ほど宗教的要素が強くなっていく。

『デトロイト・メタル・シティ』というギャグ漫画を知っているだろうか。

主人公は気弱でポップス好きの根岸青年であるのだが、ひょんなことから無理矢理デスメタルバンドのギターボーカルをやらされ、そこで「クラウザーさん」として、ファンに勝手に伝説を打ち立てられることになる。

「そうか!六本木ヒルズはクラウザーさんが東京タワーを犯して生まれたんだー!」

「おい、知ってるか?クラウザーさんは生まれた瞬間に自分の危険性に気付いて『殺してくれ』って言ったそうだぜ…」

みたいな。(笑)

個人的な解釈だが、ブッダさんもそんなイメージである。

ブッダの唱えた哲学やライフハックがヤバすぎたが故に

「そうか!ブッダさんは宇宙の始まりから宇宙の終わりまでを10の140乗回×3も繰り返すような修行を経て『ブッダ』に至ったんだー!」

「おい、知ってるか?ブッダさんは生まれた瞬間に苦難する人々を救う自分の役割に気付いて『天上天下唯我独尊』って言ったそうだぜ…」(ちなみに、自分が一番エラいという意味ではない)

というような。

とはいえ、別に、初期仏教が正しくて、大乗仏教が間違っていると考えている訳では決してない。

悟りや救いを求めるため、2500年以上紡がれてきた、人々の想いが無駄であるはずがないからだ。

時代や社会情勢に合わせて、説き方が変化するというのは当たり前のことである。

ただ、個人的には、哲学としての仏教の方がしっくりきた、という話だ。

どんな思想にも、影響を与えたものや、バックボーンとなるものがあると思う。個人的なニート哲学の背景を挙げるなら

・虚無主義

・初期仏教

・快楽主義(エピクロス)

・老荘思想

辺りである。

気になった方は調べてみてほしい。

(そして、一緒にニート哲学を作ろう!)

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