ニートのための一般教養 – ポール・ラファルグ『怠ける権利』

■ 働きたくない

何かがおかしくないだろうか。

なんのことかと言われたら、そりゃ「週5で8時間以上」も働かなくちゃいけないことだ。

これが「フツー」「当たり前」「常識」になっているが、本当にそうなのだろうか。そんなに働く必要があるのだろうか。

もちろん、「誰かが働くことによって社会は成立しているんだ」「みんながニートになったら世界はめちゃくちゃになってしまうぞ」という意見も正しい。

そこは大いに認めたいと思う。

ただ、1日に8時間も働く必要があるとは思えない。

近代~現代においては、機械化が大いに進み、必要な作業が少なくなった。

例えば、人力で8時間かかる作業が機械によって4時間に短縮されたとしよう。

それならば、4時間だけ働いて、あとはお茶でも飲みながらのんびり過ごせばいいはずだ。

改めて考えてみれば、誰だって当たり前にそう思うことである。

それなのに、この21世紀においても、過労死が起こったり、労働を苦に心を病んでしまう人々は後を絶たない。

なぜなのか、世界。

なぜなのか、社会。

なぜなのか、ホモ・サピエンス。

 

■ ポール・ラファルグ登場

そして、世の中にはとっくにそのようなことを考えていた男がいた。

それは、”大妖怪”カール・マルクス(1818年~1883年)の娘婿、ポール・ラファルグ(1842年~1911年)である。

マルクスといえば、言わずと知れた共産主義を打ち立てた超大物経済学者(哲学者)だ。

「娘婿」というと、少し分かりづらいが、ラファルグはマルクスの次女ラウラの夫ということである。

そんなラファルグが書いたのが、今回読んでいく『怠ける権利』(1880年)だ。

まずは、簡単にラファルグについて紹介していこう。

カール・マルクス。大ヒゲ。
ポール・ラファルグ。小ヒゲ。

 

ポール・ラファルグは1842年にキューバで生まれる。フランス人と現地人の両親を持つ混血児である。

一家は1851年にフランスに移住することになるが、このキューバの”南”の雰囲気はラファルグの気質に大いに影響を与えたとされている。

若いラファルグは医者を志し、高等中学校を卒業後、パリ大学の医学部に入学するが、そこでナポレオン3世(当時のフランス皇帝)を弾劾する学生運動に加わり、プルードン(無政府主義者)などの影響を受けて第1インターナショナル(労働者・社会主義者の国際政治結社。「創立宣言」と「規約」を起草したのはマルクスだ)に加入する。

そして、1865年の国際学生会議に参加することで、ラファルグはパリの全ての大学から追放されてしまった。

その後、ロンドンに渡り、マルクスの教えを乞うて、家庭に出入りするうちに、1868年には次女のラウラと結婚することになった。

 

それからのラファルグは、パリ・コミューン(労働者自治政府)やフランス労働党の活動に従事する。

1880年には、社会主義機関紙「レガリテ(平等)」を発刊し、『怠ける権利』も発表された。

フランス労働党の活動では、ストライキの指導を率先して行ったため、殺人略奪教唆の疑いで刑務所に入れられたこともある。

1891年にも、再度逮捕されたが、なんとこのときは投獄中にも関わらず、国会議員に選出されたため、刑期僅かで釈放された。

1908年のトゥールーズ会議では、複数の社会主義勢力をまとめようとしたが、上手くいかずに断念。これを最後に公的な活動からは引退することになった。

 

■ マルクスお義父さんとは不仲?

マルクスはラファルグに対してこんな第一印象のコメントを残していたことが知られている。

「ラファルグの奴は、奴のプルードン主義でわたしをうんざりさせます。

植民地生まれの奴の頭を私が叩き割るまで、彼は私を静かにさせてはくれぬでしょう」

(プルードンとは先ほど登場したアナーキストのこと。マルクスとプルードンは論敵だったことで有名である)

 

また、ラファルグは熱心な社会活動家の一面を見せる傍ら、無為に時間を過ごすことも多かったそうだ。

マルクスは愛娘との結婚を目前としたラファルグに対して、「真面目に働きなさい」という内容の手紙を送ったそうである。

流石にマルクスお義父さんにたしなめられれば、ラファルグも真面目になることを選ぶだろう。

……かと思いきや、生涯に渡って安定した1つの職に就くことはなかったという。

 

なお、ラファルグの『怠ける権利』はヨーロッパ中のあらゆる言語に翻訳され、大衆や労働者によってたくさん読まれたというが、肝心のマルクスやエンゲルス(マルクスの盟友 兼 パトロン)による言及は一切残されていない。これは『怠ける権利』の知名度からすれば異常なことであるそうだ。

父と婿の不仲か、政治的思想の違いか、はたまたそれらが複雑に絡み合った事情があったのだろうか。

 

■ 今回のテキスト

それでは、前置きが長くなってしまったが、『怠ける権利』を読んでいこう。

今回使うテキストは、平凡社ライブラリーの『怠ける権利』である。

 

■ 怠ける権利 – 序文

チェール氏は、1849年の<初等教育委員会>の席上で次のように述べている。

「聖職者の権限を絶対的なものにすることが望ましい。というのは、人間にたいして逆に≪楽しめ≫と命じるいま1つの哲学ではなく、苦しむためにこの世に生まれたのだと人間に教え込むかの良き哲学を普及させることを、聖職者に期待するからである」と。

その法外な利己主義と偏狭な知性を彼自ら体現していた、ブルジョワ階級の道徳(モラル)を、チェール氏は公言したわけである。

ここで、チェール氏というのはフランスのブルジョワ進歩派の政治家、つまりラファルグの大敵であり、パリ・コミューン弾圧の首謀者でもあったそうだ。

彼の言う「聖職者」とは、キリスト教の神父や牧師のことである。

キリスト教的な価値観といえば、「この世の苦難を耐えて、神を信じる者だけが、最後に救われる」ということだ。

つまり、彼のようなブルジョワ階級は「苦しくて理不尽な労働や貧困に耐え忍ぶことを、この世の『当たり前』と人々に認識させること」を聖職者に期待しているのである。

 

ブルジョワジーは、聖職者に支持された貴族階級を相手に戦っていたあいだは、信教の自由と無神論を標榜した。

だが、ひとたび勝利するや、語調と態度を変えてしまった。

そして今日では、みずからの経済的、政治的覇権を、宗教で梃入れしようというのだ。

15世紀および16世紀においては、異教徒の伝統を活発に取り入れ、キリスト教が排斥した肉体と情熱を賛美した。

今日では、財産と享楽に満腹し、ラブレー、ディドローといった、自分たちを代表する思想家の教訓を放棄し、賃金労働者に向かって禁欲の説教をする始末である。

キリスト教道徳のあわれな替え歌(パロディー)である資本家の道徳(モラル)は、労働者の肉体に破門状をたたきつける。

生産に携わる者の欲望を最小限にまで切りつめ、彼らの喜びと情熱を抑圧し、容赦なく絶えまなく労働力を排出する非情な機械の役目に追い詰めることを理想とするのである。

市民革命(ブルジョワ革命)においては、「封建制度をぶっ潰せ!」「自由に信仰させろ!」「身体の情熱を取り戻せ!」と言っていたにも関わらず、いざブルジョワジーが支配階級に立つと、領主や貴族が民を支配していたときと同じように、「禁欲的に慎ましく耐えて生きろ」と命令するというわけである。

 

ちなみに、ものすごく今更ながら、用語を解説しておくと

ブルジョワジー → 資本家階級(土地・工場・機械などの生産手段を持っている)

プロレタリアート → 賃金労働者階級、もしくは、無産階級

マルクスは、ブルジョワジーがプロレタリアートを必要以上に働かせることによって、「剰余価値」を搾取していると主張したのであった。

 

革命的社会主義者は、ブルジョワジーの哲学者や宣伝家が行った闘争を、もう一度やりなおせねばならぬ。

資本主義の道徳と社会理論に、攻撃を開始しなければならぬ。

行動の要求されている階級の念頭から、支配階級の植え付けた偏見を除去しなければならぬ。

道徳家ぶった偽善者どもの面(つら)へ、地球は労働者の涙の谷間ではなくなることを、はっきり宣言せねばならぬ。

「でき得れば穏便に、しからずんば暴力を用いて」われわれが建設しようとしている未来の共産主義社会では、人間の情念は自由に解き放たれるであろう。

今更説明する必要はないかもしれないが、この『怠ける権利』は共産主義及び社会主義のアジテーション(政治的な煽動)である。

歴史を眺めれば分かる通り、”現実”の共産主義国家・社会主義国家では、共産党幹部(共産貴族)による独裁が行われ、大虐殺・大飢饉・強制労働・強制収容と悲惨たる結果であった。

(それこそ、ニートなんぞ死刑か強制労働である)

しかし、この資本主義の支配と搾取が続く現代において、マルクスらが提唱した”理想”の共産主義については、理解や知見を深めておいてもよいものではないかと、僕自身は考えている。

 

■ 怠ける権利 – 1.災いの教義

(前文より)

「一切合切怠けよう、恋をするときと、飲むときと、怠けるときをのぞいては」

―――レッシング

タイトルの下に引用されている文章である。レッシングとは、18世紀のドイツの詩人だ。

これを引用するラファルグもなかなかおちゃめなものである。

 

資本主義文明が支配する国々の労働者階級はいまや一種奇妙な狂気にとりつかれている。

その狂気のもたらす個人的、社会的悲惨が、ここ2世紀来、あわれな人類を苦しめつづけてきた。

その狂気とは、労働への愛情、すなわち各人およびその子孫の活力を涸渇に追いこむ労働にたいする命からがらの情熱である。

こうした精神の錯誤を喰い止めることはおろか、司祭も、経済学者も、道徳家たちも、労働を最高に神聖なものとして祭り上げてきた。

(中略)

彼らの宗教的、経済的、自由思想的道徳の説教を斥け、資本主義社会における労働の恐るべき結果に目を向けたい。

ああ、ラファルグ先生。

『怠ける権利』の発刊から約150年経ちましたが、現在もあまり変わっていません……。

 

資本主義社会では、労働が、知的荒廃と、生体の歪みの原因になっている。

ロスチャイルド家の厩舎の、二本足の奉公人たちにかしずかれる駿馬と、畑を耕し、肥し車を曳き、取り入れを運ぶノルマンディーの駄馬とを比べてみるがよい。

キリスト教と梅毒と労働の教義でもって、商業の伝導者と宗教の商人がまだ堕落させていない、高貴な未開人を見るがよい。

その同じ目で、機械の哀れな下僕らをとくとごろうじろ(注:ご覧なさい)。

「労働が、知的荒廃と生体の歪みの原因」というのは、僕にとっても非常にわかる感覚である。

学生生活や受験で精一杯だったころは、将来のための”お勉強”をするばかりで、自分のための”知識”を身に着けようという感覚が欠如していた。

そして、フルタイムの労働をしていたときには、暴飲暴食などのストレス解消を繰り返すばかりで、不健康な生活を送るばかりであった。

ニートやフリーターになってからの方が、なぜかウォーキングや図書館通いが日課になっているのである。

 

そして、ロスチャイルド家といえば、世界一の大富豪一族である。

そこの乗馬用(もしくは観賞用)の優れた馬と、ノルマンディー地方で働かされている仕事馬を比べてみろ、ということだ。

仕事馬の方があきらかに、くたびれて歪んでいるはずである。

更に、人々は未開人のことを見下し、西洋文明や機械文明が「優れている」と思いがちだが、本当に高貴なのはどちらなのだろうか。

僕らは機械の奴隷になっているだけなんじゃないか、とラファルグは言っているのだ。

 

文明化したわがヨーロッパで、人間のもつ生まれながらの美の名残りを見出したいと思うなら、経済上の偏見が労働への嫌悪をまだ根絶やしにしていない国々へそれをさがしに行かねばならない。

スペインは、(残念ながら!)堕落しつつあるとはいえ、それでもまだわが国の監獄や兵営の数ほども、工場を保有していないと自慢できる。

(中略)

原始的野獣がその中でまだなえきっていないスペイン人にとっては、労働は最悪の奴隷的束縛である。(スペインの諺に曰く、休息は健康なり。)

確かに、スペインって真面目に働いているようなイメージはない。昼間からフラメンコを踊ってそうだ。

「休息は健康なり」、いい言葉である。

 

最盛期のギリシア人もまた、労働にたいしては、蔑みしか抱いてなかった。

奴隷だけが働くことを許され、自由人は、肉体の訓練と知的競技を心得ているだけだった。

(中略)

古代の哲人たちは、この自由人を堕落させる労働にたいする軽蔑の教えをたれた。

詩人たちは、この神々の贈物、怠惰を歌った。

古代ギリシャにおいて、労働が「卑しい行為」だとされていたのは有名な話である。

真理や芸術を追究し、知性に基づいた観照(思索や瞑想)をして過ごすのが善だとされた。

まあ、だからといって奴隷に仕事を押し付けるのはどうなのかと思わずにもいられないが。

 

キリストは、山上の説教で怠惰を説いた。

「野の百合はいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。

されど我なんじらに告ぐ、栄華をきわめたるソロモンだに、その服装この花の一つにもしかざりき」

(マタイ伝、第6章)

髭を生やしたいかつい神エホヴァは、理想的な怠惰の手本を信者たちに示した。

6日間の労働の後、彼は永遠に休息したのである。

聖書 × 怠惰論!

ちなみに、僕も同じようなネタを考えていて、まさしく「野の百合~」のくだりと、「神って6日間で世界を作った後はずっと働いてなくね?」はストックしておいたものだったのだが、150年前、とっくにラファルグが言及していたのだった。

 

なお、「野の百合~」は現代語訳を載せると以下のようになる。

「野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなた方に言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の1つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなた方に、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者ものたちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな」

この部分を読んでみると、神を信じ、神のはからいに従って、自然のまま今を生きるのだという、無為自然な教えも感じ取ることができるものだ。

 

プロレタリアートは、文明諸国の全生産者を内に含む広大な階級、すなわち、みずからを開放することにより、人類を奴隷的労働から解放し、人間動物を自由に高めるべき階級。

プロレタリアートは、自己の本能を偽り、自己の歴史的使命を顧みず、労働の教義で堕落させられるがままになっている。

天罰は覿面(てきめん)だった。

ありとあらゆる個人的または社会的悲惨は労働にたいするかかる熱狂から生まれたのである。

「労働を良いものとして崇めるのはやめよう」

「プロレタリアートには、自らを奴隷的労働から解放しようとしなければならない使命があるんだ」

とラファルグは語るわけである。

ちなみに、マルクスとラファルグの微妙な関係については触れたが、マルクスは労働を神聖なものであると考えていたので、ラファルグのこういった意見は「空想的」に思えてしまったのかもしれない。

 

■ 怠ける権利 – 2.労働の恵み

1770年、ロンドンにおいて、『商業および交易論』と題する匿名の著作が発表された。

当時かなり世評に上がったものである。

その著者は、よほどの博愛主義者らしく、こんなふうに憤慨している。

「イギリスの下層工業労働者の頭には、イギリスを構成する人間はだれでも、生まれながらの権利として、ヨーロッパのいかなる国の労働者よりも自由で独立する権利を所持しているという思い込みが植え付けられている。

(中略)

このようなのぼせあがりを奨励することは、危険このうえない。

工場勤めの貧乏人どもが、現在4日間で稼いでいる金額を手に入れるために6日間働くことを甘受せぬかぎり、予防措置は完璧とはいえぬだろう」

(中略)

『商業論』の著者は、怠惰を根絶し、怠惰が生み出す自負と独立の意気を挫くために、貧民を理想労働施設の中に監禁することを提案した。

これは、「1日14時間働かせ、その結果、食事の時間も短縮されて、まるまる12時間の労働時間が残るように図られた恐怖の施設」である。

(中略)

現代の工場は労働大衆を幽閉し、男ならず女子供にも、12時間から14時間の強制労働を課する理想的な懲役施設になったのである。

≪恐怖政治≫を担った英雄の息子たちが、1848年のあと、生産工場内での労働を12時間に限る法令を、革命の一成果として受諾するまでに、労働の宗教で堕落させられてしまったとは。

革命の一原則として、連中は労働の権利を祭り上げたのである。

フランスのプロレタリアートよ、恥を知れ!

前半はまあ分かりやすいだろう。ラファルグお得意のブルジョワ体制側による文面を引用したディスである。

後半は1848年うんぬんが分かりづらいと思うが、これはフランスの二月革命のことである。

この二月革命でプロレタリアートは労働の12時間制限を勝ち取ったが、ラファルグからすれば、「そんなことで喜ぶんじゃない、長すぎるだろ!」ということだ。

現代で言えば、普通のサラリーマンが「8時間労働はホワイトだね♪」と言っているところに、ニートが「いや、8時間も長げえよ!」と言っているようなものである。

ちなみに、『怠ける権利』というタイトルは、二月革命において掲げられた「労働の権利」に反発してパロディされたものだ。

 

「聖書」の蝗(いなご)よりも夥しいプロレタリアートの上に、強制労働の苦痛が、飢えの責苦が降りかかったとすれば、それらを求めたのは彼ら自身なのだ。

その労働、それを労働者たちは1848年の6月に武力をもって要求し、自分たちの家族に押し付けたのだ。

産業界のお歴々の手に、妻や子をゆだねたのだ。

みずからの手で、家庭のかまどを破壊し、妻の乳を枯らせたのだ。

不幸な女たちは、妊婦も子持ちも、鉱山や工場へ、背骨を突っぱり神経を擦り切らせに出かけねばならなかった。

みずからの手で、彼らは自分の子の生命と活力を破壊したのだ。

(中略)

今日では、肌は蒼白く、貧血気味で、胃の具合が悪く、手足のなえたひ弱い花、工場の娘や女房たちしかいない!

(中略)

そして子供たちの身に、12時間の労働。悲惨のきわみだ。

(中略)

われわれの時代は、労働の世紀と言われるが、実際のところそれは、苦悩と悲惨と、堕落の世紀である。

ラファルグは「朗らかな農村的生活風景」を挙げて、それを破壊してしまったのには、工場労働に参加した(従ってしまった)プロレタリアートにも責任があるというのだ。

実際、この後には「1800年頃のある地方では、労働者でも家や田畑を所持している者がおり、その生活はある程度守られていた」という記述も出てくる。

しかし、そこにも資本家と工場の進出が進み、労働力が集められ、家賃が高騰し、人々は近隣の村に引っ越してまで、工場に通わなければならぬようになってしまったという。

 

仕事の長さについて、ヴィレルメは、徒刑場の苦役囚が10時間しか労働せず、西インド諸島の奴隷が、平均9時間しか働かぬのにたいして、1日の労働時間が16時間で、そのうち食事のため1時間半しか労働者に与えられぬ工場が、89年の「革命」をやりとげ、はなばなしい「人権宣言」を発したフランスに存在することを指摘している。

(中略)

ひなびた住人のあいだに工場を建てるくらいなら、ペスト菌をばらまき、水源に毒を投ずるほうがましだ。

工場労働を導入してみるがよい。

そうなると、喜びも、健康も、自由も、おさらばだ。

人生を美しく、生きるのにふさわしくする一切合切と、おさらばである。

ヴィレルメというのは、当時の医学博士であり、貧困問題に言及していた人物である。

現代でも、「ブラック企業より刑務所の方がマシ」など言われることはあるが、当時からもそのような指摘があったようだ。

後半に関しては、ひとつ前の引用とも関連するが、工場進出による人間性の剝奪や、田園地域の破壊も含めて、「菌や毒をまく方がマシ」と言っているのだろう。

 

経済学者たちは、たえず労働者に向かってくりかえす。社会の富を殖やすために、働け! と。

(中略)

さらに、キリスト教の寛容の名の下に、英国国教の一司祭、タウンゼンド猊下は御宣託を並べる。

働け、働け、昼夜を問わず。

働くことによって、お前たちは貧乏を深める、そしておまえたちが貧乏すれば、われわれは法の力をふりかざしておまえたちに仕事を強制しなくてもよい。

(中略)

経済学者どものまことしやかな言葉に耳を貸し、労働という悪徳に身も心も捧げたために、プロレタリアは社会構造に痙攣を起こさせる過剰生産という産業危機に社会全体を駆りたてることになる。

そうなれば、商品の過剰と購買者数のはなはだしい減少から、工場は閉鎖され、飢餓が無数の革鞭で労働者階級を笞打つ。

労働の教義(ドグマ)で理性を失ったプロレタリアートは、いわゆる繁栄の時代、みずからが行った過剰労働が、現在の悲惨の原因になっていることをわかろうともせず、……(略)

なぜ、過剰労働がプロレタリアートの悲惨を招くのか? ここで少し解説しておこう。

① ブルジョワジーが、「たくさん働け!」とプロレタリアートに命令する。

② プロレタリアートが多く働くことによって、製品が過剰に生産される。

③ 過剰生産となると、商品の価値は下がって、企業の収益が下がり、不況となる。

④ 不況になると、ブルジョワジーはプロレタリアートをクビにしたり、雇う人数を減らしたりする。

⑤ 職を失ったプロレタリアートたちは働き口を求めて、ブルジョワジーの工場に列をなす。

⑥ そうすると、プロレタリアートの労働力は安く買い叩かれ、元々低い賃金や労働条件がさらに低下する。

⑦ プロレタリアートは、より安い給料で、より長時間で働くことによって、生産はより過剰なものになる。

⑧ 以下、負の無限ループ……

というわけである。

こう考えてみると、社会のお荷物として叩かれているニートたちも、「自分を安売りしない」ことによって、労働者階級の地位を守っているのではないだろうか。

言ってしまえば、給料が低く、労働条件が悪いブラック求人にも、人々が群がってしまうことによって、我々は安く買い叩かれてしまうわけである。

「働いたら負け」「絶対に働きたくないでござる!」

先人たちの言葉は正しかったのかもしれない……。

 

こうした個人的、社会的悲惨は、いかに大きくおびただしくあろうとも、また、永遠につづくもののように見えようとも、プロレタリアートが「我はかく望む」と言い出すとき、獅子が近づいたハイエナや野犬のように、尻尾をまいて逃げ出すだろう。

が、彼らがみずからの力を自覚するためには、キリスト教的、経済的、自由思想的道徳の偏見を踏み躙らねばならない。

自然の本能に複し、ブルジョワ革命の屁理屈屋が捏ねあげた、肺病やみの人間の権利などより何千倍も高貴で神聖な、怠ける権利を宣言しなければならぬ。

1日3時間しか働かず、残りの昼夜は旨いものを食べ、怠けて暮らすように努めなければならない。

(中略)

……、労働は、1日最大3時間に賢明に規制され制限される時はじめて、怠ける喜びの薬味になるということを、……(略)

ここがこの本のメインであろう。

神聖な「怠ける権利」の宣言である。

その内容は、1日3時間労働の制限。すばらしい。

全人類が1日3時間しか働かない怠け者になれば、貧困も搾取も解決されるはずだ。

怠惰は世界を救う!

(個人的に、3時間の労働が、怠惰の喜びの「薬味」になるって表現が好きだ)

 

■ 怠ける権利 – 3.過剰生産のあとに来るもの

キケロの時代のギリシア詩人、アンチパロスは、穀物を挽く水車の発明を次のように歌った。

これこそ、女奴隷を開放し、黄金時代を復活させるべきものだった。

「おお、粉を挽く女たちよ、石臼をまわす腕を惜しめ、そして憂いなく眠れ!

夜明けを告げる雄鶏の声に耳をかすな!

ダオス女神が水の精たちに奴隷の仕事をおしつけた。

だからほらニンフたちが水車の上で陽気にはね回り、水軸ががらがら羽根を回わし、重い回転臼をころがしている。

先祖の暮らしを暮らそう、そしてのんびり女神がくださる賜物を楽しもう」

 

悲しいかな、異教の詩人が告げた余暇は、やって来なかった。

労働の邪な殺人的な盲目的な情熱が、解放者である機械を、自由人を奴隷におとす凶器に化けさせた。

機械の持つ生産力が、彼らを貧しくしているのだ。

ここでも言及されている通り、機械自体は決して悪いものではない。

むしろ、僕たちの生活を楽にしてくれるものである。

ただ、それが悪く使われているというだけなのだ。

例えば、1811年から1817年にかけてイギリスで行われた、労働者が工場の機械を破壊するラッダイト運動を、マルクスが『資本論』で批判していたのは、比較的有名な話である。

労働者は「生産手段」ではなく、「搾取形態」を攻撃するべきだとしたのだ。

 

1860年の職業教育に関する委員会を前に、アルザス地方の大工場主、グヘブヴィレールのブルカール氏は宣言している。

「1日12時間は行き過ぎであり、11時間に戻さねばなりませんし、土曜は2時に仕事を打ち切らねばなりません。

この方法は一見、経費を無駄にするように見えるかもしれませんが、これを採用するようお勧めします。

わたくしの生産工場では、この4年間、実地にこれを試み、満足しております。

平均生産高は、減少するどころか、増大いたしました」

機械についての考察のなかで、F・パシー氏は、ベルギーの大工場主、M・オタヴァエール氏の次の文面を引用している。

「(中略)……わたしは確信しているが、13時間でなく、11時間しか労働しなくとも、同じだけものを生産できるであろうし、また従って、より経済的に生産できることになろう」

一方、ルロワーボーリュ氏も、肯定している。

「ベルギーの一大工場主の考察によると、休祭日のある週の生産高は、通常の週に劣るものではない」

天真爛漫ゆえに、モラリストどものぺてんにかけられた大衆がなし得なかったことを、貴族階級の政府がやってのけたのである。

(中略)

そうなのだ、わずか2時間ばかりの削減が、10年間でイギリスの生産を約1/3増大させたとしたら、1日の労働時間を3時間に切り下げたら、フランスの生産は、どんな目の眩むような進歩を遂げることか。

当たり前だが、ダラダラとサボりながら仕事をするのと、それより短い時間で効率よく仕事をするのでは、ほとんど結果は変わらない。

日本はダラダラ働いているだけなので、労働時間に対して成果が出ていない、などの話を聞くが、これは昔から言及されていた話であるようだ。

そして、ラファルグはこう言うわけである。

「2時間労働時間を削っただけで、そんなに生産が増大するのならば、労働時間を3時間にしたら、どれだけ生産が増大するのだろうか」と。

 

■ 怠ける権利 – 4.新しい調べには新しい歌を

もしも労働者階級が、彼らを支配し、その性根を腐らせている悪癖を心の中から根絶し、資本主義開発の権利にほかならぬ人間の権利を要求するためでなく、悲惨になる権利にほかならぬ働く権利を要求するためでなく、すべての人間が1日に3時間以上労働することを禁じる鉄則を築くために、すさまじい力を揮って立ち上がるなら、大地は、老いたる大地は歓喜にふるえ、新しい世界が胎内で跳ねるのを感じるだろう……。

しかし、資本主義道徳で腐敗させられたプロレタリアートに、雄々しい決意をどうやって求めればよかろう。

「人間の権利」なんていうものは、「資本主義開発の権利」にすぎない。

「働く権利」なんていうものも、「悲惨になる権利」にすぎない。

しかし、支配され、疲弊した、労働者階級が「1日3時間労働の権利」を得るために、立ち上がるためにはどうしたらいいのだろうか。

最後にラファルグは以下のように語る。

 

古代奴隷身分の惨めな典型、キリストのように、≪プロレタリアート≫は老若男女を問わずこの1世紀来厳しい苦難の丘を営々と登っている。

この1世紀末、強制労働が彼らの骨を砕き、肉体を痛めつけ、神経を苛んでいる。

この1世紀末、飢えが彼らの臓腑をよじらせ、脳髄に幻覚を呼び起こしている……。

おお、≪怠惰≫よ、われらの長き悲惨をあわれみたまえ!

おお、≪怠惰≫よ、芸術と高貴な美徳の母、≪怠惰≫よ、人間の苦悩を癒したまえ!

それは、怠惰崇拝! ビバ怠惰!

 

■ ポール・ラファルグの最期

これにて、「怠ける権利」の紹介は終わりである。

ちなみに、平凡社ライブラリーの『怠ける権利』には、「怠ける権利」以外にも「資本教」「売られた食欲」というラファルグの作品が収録されているので、そちらもチェックしてみてほしい。

特に、「資本教」という資本主義を宗教に例えた表現や内容は、現在でもよく見かけるが、初出はラファルグなのではないだろうか(それより古いものがあったら教えてほしい)。

2章の「労働者の教理問答」という対話編が皮肉たっぷりで面白い。

 

さて、そんなラファルグであるが、1911年、なんと彼は70歳を迎える前にして、妻ラウラと共に自殺してしまった!

彼は以下のような遺書を残している。

生活の快楽と喜びが一つ一つ消えていき体力と知力も衰えてそれが重荷にならぬうち、心身ともに健康である時に自分は生涯を終えることとする。

この数年来、私は齢70は越えないと心に決め、死への門出をこの歳に定めて自決する手段──青酸の皮下注射──を準備してきた。

45年間我が身を捧げた立場が近い将来勝利することを確信しつつ、私はこの上ない歓喜を以て死ぬ。

共産主義と第二インターナショナルに栄光あらんことを!

wikipedia ポール・ラファルグ

現代のニートやフリーターにおいても、「若い頃は自由に生きて、歳を取ったら死んでやる!」というスタンスの人はたまに見かける。

しかし、(それが良いか悪いかは別として)ラファルグはそのような心構えを本当に実践してしまったのである。

確かに、無神論者、唯物論者、行動力を持つ活動家、そして、筋金入りの怠け者であれば、「そのような結論」に至ることにもあまり違和感はない。

個人的な意見を言えば、手放しで褒めることはできないが、一定のリスペクトは持ちたい生き様ではあると思う。

 

ちなみに、「怠ける権利」を読んでみると、2章の補記にこんな記述がある。

※ ブラジルの好戦的部族のインディアンたちは、不具者や老齢者を殺す。

戦闘、祭り、舞踊を楽しめなくなった者の人生を終わらせることで、彼らに対する友情の証しとするのだ。

原始民族はいずれも身内の者にこのような愛の証しを示した。

カスピ海の古代スキチア人や、ドイツのヴェン族、ゴールのケルト族がそうだ。

スエーデンの教会では最近まで、家族の棍棒と呼ばれる棍棒が保存されていた。

これは両親を老いの悲しみから解放するために使われた。

工場の恐ろしい悲惨を辛抱強く耐え忍ぶとは、現代のプロレタリアートは、なんと堕落したことか!

こうして、ラファルグの最期を知った後に読んでみると、これも何かの伏線であり、彼の生死観の主張のようにも思えるものだ。

  

―――名誉怠惰者、ここに眠る。

(おわり)

 

■ 参考文献

 

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