自分が生活や趣味について語る文章のカテゴリー名を「日記」から「エッセイ」にした。
理由はなんかクリエイティブな活動をしてるっぽさがあるからだ。
意味について調べてみると、ものすごくざっくり言えば、日記は自己満足で、エッセイは人に読んでもらうものらしい。
まあ、確かにどちらかと言えば、エッセイかもしれない。
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昨日、ツイッターで無職詩人氏と会話した。
氏はプロレタリア文学ならぬアンエンプロイド文学、及び無職詩を発表している方である。アナーキーな世界観が特徴的だ。
氏は積極的に投げ銭も募集していて、作品の内容やスタイル的にも「いいなー」と思っている。
投げ銭を求めることすら作品に昇華しているというか。ダサくないお金の集め方だと思う。野暮な読み解き方だったら申し訳ない。
そんなところから思ったのは、ニートたちはもっとお互い、気軽に投げ銭をし合うべきなのかもしれないということだ。
ショボくても「ニート経済圏」を生み出すような。
数百円程度の気持ちだけでも送り合ってみるのはどうだろう。(そもそもニートたちに大金を送るような余裕はない)
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ニート気質の人々は、どこかしらクリエイター気質みたいなところがあると思う。
適職診断をやると大体「芸術家タイプ」になるんじゃないだろうか。
好きなもの、やりたいこと、趣味、特技のようなものがある人は気軽に発表してみるのもいいかもしれない。「寝てるのが好きなだけでーす」みたいな人も自分は好きなのだけど。(生き様がアートだ)
ニート活動家が増えれば、こんな流れが生まれるかもしれない。
【第一段階】
・いろんなニートが活動を行う
・お互いに投げ銭する
【第二段階】
・しょぼいニート経済圏の誕生
・投げ銭によりモチベーションアップ
・作品、活動クオリティの向上
【第三段階】
・「働かない生き方をするニートたちが作り出すサブカルチャー」として作品群が一定の評価を得るようになる
・外部の人々もお金を落とすようになる
…といったところである。
まあ、これはただの漠然とした妄想でしかないのだが、自分はもっと気軽に投げ銭をしていこうかなと思っている。
別に芸術だけじゃなくて、シェアハウス運営とか小屋暮らしのような活動も応援したい。
基本、210(ニート)円にすれば、みんな投げやすいんじゃないだろうか。
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noteや欲しいものリストを公開している人は分かりやすいのだけど、それ以外だとちょっと投げ銭はめんどくさい。
ツイッターに投げ銭の機能があったら良かったな、と思う。
課金した分だけ、1回10円のスーパーふぁぼができるとか。(10円は相手の収益になる)
ツイートが良すぎて、ツイッターでサクッとお金を落としたくなるような時もある。
それはそれで拝金主義のような世界になってつまらないのかもしれないけど。
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無職詩人氏は
(ニートたちで各自好きな創作活動をして厚かましくゴリ押しすれば、物好きな人に評価して貰えるのではないか、と言う文脈で)
「とりあえずオレで実験中です。厚かましくゴリ押しを。」
と言っていた。攻めの姿勢である。
自分もなるべくゴリゴリ書いていこうと思う。
最近では「寝そべり族」が話題になったけれど、ずっと寝てるのも飽きてしまうだろうから、「必要な分だけ働いて、あとは金の掛からない暇つぶし(創作/活動/研究)を行う」みたいな生き方をする人が増えてもいいんじゃないだろうか。
まあ、でも、ニートカーストにおいては、ハンパにクリエイター気取るよりも「マジで何もしてないヤツ」が1番テッペンな気もする。