日本の「寝そべり族」インタビュー – なるべく働かない人の生態に迫る

寝そべり族、それは近年に中国の若者の間で流行しているムーブメントである。

競争社会に疲れた若者たちは、頑張ることをやめて、最低限だけ働き、最低限の文化的な生活を送る。

寝そべり主義は、”六不主義”とも呼ばれ、「家を買わない」「車を買わない」「結婚しない」「子供を作らない」「消費しない」「頑張らない」。

そして、「誰にも迷惑をかけないで、最低限の生活を送る」ことを定義とする。

このような、中国の若者たちの生き方は、日本のSNSでも非常に共感を呼んだ。

飽和した資本主義社会、拡大する貧富の差、横行する自己責任論…。

「親ガチャ」「上級国民」「反出生主義(人間は生まれない方がいい。また、子供を作らない方がいいとする考え方)」などのワードが流行するように、この国の若者の間でも一種の「あきらめ」のような無力感が漂っている。

そんな現代日本で、寝そべり族として生活をする、1人の男性にインタビューを試みた。

男性の名前はゆるふわ無職さん(仮名)である。

待ち合わせ場所である、ファミレスに彼は定刻通りに現れた。

ーー今日はよろしくお願いします。

はい。こちらこそよろしくお願いします。

ーー失礼かもしれませんが、意外と”普通な方”ですね。

(笑)。そうですね。ニートやフリーターって、社会不適合者とか犯罪者予備軍みたいに呼ばれることが多いですけど、結構”まともな人”が多いと思いますよ。ただ、まともに働けないだけなんです。

部屋に引きこもって親を怒鳴りつけるようなイメージがあるかもしれないですけど、実はニートって内向的な人が多いんですね。良くも悪くも繊細っていうか。

そういう人が社会に出ると、潰れてしまうパターンが多いんだと思います。

ーーなるほど。

会社というか、どんな社会でもそうだと思うんですけど、結局、声がデカくて、横暴な人間が幅を利かせてるというか、そういう理不尽さに耐えられなかったり、あとは単純に週5の8時間労働がしんどい人も多いでしょうね。通勤時間や残業を加えたらそれ以上ですし。

ーーゆるふわさんもサラリーマン生活に嫌気が差して、寝そべり族になったのでしょうか?

いや、違います(笑)。軟弱者かと思われるかもしれませんが、僕は大学生の時に鬱になってしまい、そこから無内定で卒業した後、ニートと必要最低限のバイトを繰り返すような生活。いわゆる、寝そべり族に落ち着きました。

ーー大学生で鬱ですか。ブラック研究室というやつでしょうか。

いや、そうでもないんです。確かに理系の大学で、それなりに勉強も研究室も厳しかったですが、少なくとも自分の所はブラックやパワハラではありませんでしたね。

もっと個人の問題というか、僕の母親はいわゆる”教育ママ”って感じで、「良い大学に入って、良い企業に入れば、良い人生を送れる」みたいに考えている人だったんです。

その影響で、高校も”自称進学校”みたいなノリのところに入ってしまい、大学も就職に有利な理系の理工学部に進んだのですが、一種の燃え尽き症候群というか、何のために生きてるのか分からなくなってしまったんですね(笑)。

ーー中国の寝そべり族も、背景には過酷な受験戦争がありましたね。

そうですね。中国の受験戦争に比べたら僕の経験なんてお遊びのようかもしれませんが。

あとは、大学生とか就活に対する嫌気みたいなものがありました。大学生って、サークルとか飲み会とか、基本的に馬鹿騒ぎしてるだけなのに、真面目な顔して「こんな高尚なことを学びました」みたいなことを就職活動で言う訳じゃないですか。WEBテストもお金払ってデキるヤツにやってもらうとか。

「嘘つき合戦のスキル」とか「コネ」も含めて、”就職活動”なんでしょうけど、そういう雰囲気に嫌気が差してしまったというか、これまでの人生のモヤモヤがそこで溢れ出してしまったんですね。他の人から見たら僕が不器用なだけなんでしょうけど。

ーー就活のくだらなさは分かります。けれども、そういった”グレーさ”にも折り合いをつけていかないと、生きていくのは難しい。今後、就職する予定はないのですか?

うーん。今のところはないですね。

現在は週3で5時間、清掃のバイトをしているんですけど、実家や知人の家に居候しているんで、それでとりあえず生活できてます。贅沢もしないですしね。

ーー老後の不安などはないのでしょうか?

そりゃ、不安じゃないと言えば嘘ですけど、老後の為に生きるってよく分からない人生ですよね。更に言えば、明日に心臓麻痺や交通事故で死ぬ可能性だってある。

よく言う例えなんですけど、「フルコース料理を食べに来たのに、出てくるかどうかも分からない萎びたデザートの為に、メインディッシュに手を付けない」みたいな生き方をしてる人ばかりというか。

ーー「今を生きる」べきだと。

といっても、ゴロゴロしたり、本を読んだり、インターネットを見て過ごすだけですけどね(笑)。

ーー(笑)。

あとは、シンプルに働いてると、死にたくなってしまうんです。

以前、フルタイムで時給1500円のデスクワークを知人のツテで紹介してもらって、半分正社員みたいな扱いで、待遇も良かったんですけど、毎日生きてる心地がしなかった。

必要以上に働かされて、必要以上にストレス発散をさせられているような。休日も疲れを癒すだけ。

結局、半年と少しで辞めてしまいました。

Twitterで相互フォローの寝そべり族の方が、「週5の8時間労働で絶望して死んでしまうぐらいだったら、老後に絶望することを選ぶ。老後に絶望したとしても、後は死ぬだけ」って言っていて、まさしくその通りだな、と思いましたね。

ーー寝そべり族の哲学ですね。

そうなんですよね。ニートとか寝そべり族が面白いのは、哲学とか文化人類学と直結している所だと思うんです。

ーーニートが哲学や文化人類学ですか。

ええ。「人間としてどう生きるか?」、そして、「飽和した資本主義社会で雇われ労働者以外にどう生きるか?」。これはもう、充分に学問の実践じゃありませんか?

ある意味、歴史の最先端を生きている。社会の常識に従って、思考停止で働いている人より、より人間らしく生きている。

…というのは詭弁かもしれませんがね(笑)。

ーー言っていることは分からなくもないです。ゆるふわさんは何か特有の哲学や社会に対する姿勢を持ち合わせているのでしょうか?

僕が好きなのはエピクロスの快楽主義やニーチェの虚無主義(ニヒリズム)、それに原始仏教や老荘思想にも影響を受けてます。

ーー快楽に虚無。失礼ですが、すごくニートっぽいですね。

確かに言葉のイメージからはそのような印象を受けるかもしれません(笑)。

とはいえ、快楽主義は「無駄な快楽を求めず、苦痛を避けて、質素に生活しよう」、虚無主義は「人生に意味はないけど、一瞬一瞬を強く生きよう」と言っているんですよ。

ーーなるほど。「無駄な快楽」、「人生に意味はない」について詳しく知りたいです。

分かりました。快楽主義を唱えたエピクロスは、快楽を「必要な快楽」と「不要な快楽」に分類したんです。

前者が、最低限の衣食住や他者との繋がり。後者が、豪華な食事や家、地位や名誉を求めることだったんです。

ーーおお、寝そべり族っぽくなってきました。

そうでしょう。現代の資本主義はどんどん競争させて、どんどん消費をさせるような。不要な快楽をエサにしたラットレースですよね。

エピクロスはこうも言っているんです。「どんな快楽もそれ自体が悪いということはないが、不必要な快楽を求めると、それ以上に苦痛が上回る」と。

ーー確かに、激しく出世を望んだり、世間の評価を気にしてタワマンを買うような、そういった人々は気苦労も多いのではないかと思います。

そういう生き方を否定するつもりはありませんが、バイタリティは人それぞれですよね。少なくとも、僕はゴロゴロしてる方が幸せです。

ーーニヒリズムの「人生に意味はない」というのは?

これは極端な話ですけど、人生って別に意味は無いんですよね。子供を作っても、功績を残しても、いつか人類も地球も宇宙も消滅しちゃうんだから、っていう。

人間だって、その辺の石ころと価値は変わらないんですよ。どれだけ複雑な振る舞いをするか?って違いなだけで。

意識もただの脳の電気信号であって、そんな崇高なものではないんです。

この世のあらゆるものに意味は無い。

ーー宇宙のスケールで考えたらそうかもしれません。ただ、悲しい考えのようにも思えます。

うーん。僕はむしろ、ニヒリズムは「やさしい」と思いますけどね。

現代だと、ブラック企業で詰められて自殺しちゃう人とか、ニートだから世間体を気にして自殺しちゃう人とかいますけど、「社会人はこうあるべき」っていう価値観なんて、絶対的な意味を持たない、相対的な作られた価値観なのだから、ニヒリズムで打破してしまえばいいんです。

「人生に意味は無い。だから、ブラック企業なんてやめてしまおう」「人生に意味は無い。だから、テキトーに楽しく生きよう」、そういった考えもできるはずです。

ーー現代には「正社員じゃないとヤバイ」とか「◯◯才までに結婚してないとヤバイ」とか、生きづらい価値観に溢れていますが、そういったものも「意味が無い」ということですね。

そうです(笑)。ニヒリズムの前では全て虚無ですね。

ーー面白い。寝そべり族は意外と深いです。とはいえ、「働かないこと」や「子供を作らないこと」は社会フリーライダー問題や少子高齢化を推し進める原因となりそうですが、この辺りについてはどうお考えでしょうか。

なかなかシビアな所を突いてきますね。

まず、僕自身は「こんな社会滅んでしまえばいい!」とか思っている訳ではないんです。むしろ、現代に生まれたことには感謝しているというか。平和で人権もあって、科学や医療の技術も発達している。これからもなるべく続いてほしい。

けれども、これまでの昭和的な価値観には限界が来てると思うのですね。「サラリーマンになって、結婚して、子供を作って、家を建てて…」みたいな。経済の停滞も含めて、現代日本の幸福度は非常に低いと言われている。社会が続いてほしいとはいえ、国民が幸せでない社会なんて存在が間違っていると思うんです。

逆説的な考え方になってしまうのですが、寝そべり族が登場したこと自体が、資本主義の限界と飽和を示しているのかもしれません。これまで、「脱資本主義」や「サイレント・テロ」といったムーブメントはありましたが、これまでの「抵抗的」「社会に対するデモ」のような在り方ではなく、若者による一種の社会適合、「こういう世の中なら、なるべく働かないのが一番幸せだよね」というスマートとも言える合理的な答えが「寝そべり」だったと思うんです。

これを「社会のガン」と考えることもできますが、僕はむしろ、次の社会に進む兆しというか、新たな希望なんじゃないかな、と思います。寝そべり族がオルタナティブな生き方を提示することによって、将来的に多様なライフスタイルが誕生し、色んな人が生きやすい社会に繋がるのではないかと。実際、寝ているだけでなく、田舎でのシェアハウスや小屋暮らしのムーブメントも起こっていますしね。

ニートを部屋に閉じ込めたり、社会で存在を抑圧して、生き殺しにするぐらいなら、テキトーに放し飼いにさせておいた方が、より善い社会、幸福度が高い社会になるのではないでしょうか。納税額や出生率が回復するとは断言できませんがね。

ーー「社会のガン」か「次への兆しか」、寝そべり族の出現は不可避なものであったと。ゆるふわさんは「寝そべり族」の増加に肯定的なのでしょうか?もしくは、「寝そべり族になりたい」という人がいたらどうしますか?

うーん、散々持論を述べてきましたが、「仕事はめんどくさいけど、そこそこ人生は幸せ」って人は普通に働いた方がいいと思いますね。やっぱり、社会的身分とか、低収入とかで、不安定な部分も大きいんで。あと、結婚はまだしも、子供を作るのは難しいと思います。僕は元から子供欲しいと思っていなかったんで、大丈夫なんですけど。

でも、寝そべり族になった方が幸せって人は間違いなく存在すると思いますね。人間、みんな個性が違うじゃないですか。それなのに、全員を社会人の型枠に嵌めようとするから、おかしくなってしまったり、壊れてしまったりする人がいる。

こういう人は大体、内向的だったり、センシティブだったりするんですけど、ストレスを感じる力が強いんだと思いますね。だから、ストレスフルな社会でやっていくのは厳しい。

でも、逆に言えば、些細なことで幸せを感じとる能力も強いってことだと思うんです。のんびり暮らして、散歩をするだけで充分に満たされるような。そういう人は、寝そべり族に向いているんじゃないですかね。

そうなると、さっきの「社会のガン問題」じゃないですけど、「自分たちは社会のお荷物なんだ…」「寝そべり族が増えたら社会が終わるんじゃないか…」と気にしてしまう人もいると思うんです。なんせ、センシティブですから。

でも、それはインターネットで内向的な社会不適合者をいつも見ているからであって、世の中の殆どの人は「たくさん稼いで、たくさん消費したい」って思っているんじゃないですかね。外向的と内向的の割合は3:1らしいので、すごい大雑把な計算ですけど、人口の75%は「はたらき族」なんじゃないかと。

適材適所というか、働くのがしんどい人々は、無理に働くのではなくて、「社会の多様性を維持する」のも1つの仕事だと思います。カオスであった方が、群れは強いですし、日本は堅苦しいところがあるんで、もっと寝そべり族が増えてもいいんじゃないでしょうか。働きアリたちも20%は働かないそうですしね(笑)。

ーー寝そべり族は「働かない」という仕事をしている訳ですね!それでは、最後に今後の展望についてお願いします。

特にないですね。のんびり過ごそうと思ってます。

とはいえ、「居場所探し/作り」のようなものには興味がありますね。インターネット上でもいいんですけど。

流石にこんな「寝そべり論」を現実で話している訳ではないですが、軽くジャブのような意見を言った場合でも、「でも、みんな働いているんだからさ」とまとめられてしまいます。

まあ、そんな生活がずっと続くのもしんどいんで、理想のニート村やニートシェアハウスのような場所を見つけていきたいですね。

ーーニートの楽園、ニートピアですね。

ニートピア、それ採用します(笑)。

ーーそれでは、本日はありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました。

そう告げると、ゆるふわ無職さんはドリンクバーのメロンソーダを飲み干し、ファミレスを去っていった。

その後、編集部において彼を見かけた者はいない。

けれども、私は信じている。

彼がニートピアに辿り着き、そこで寝そべっているとーーー。(完)

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