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「人間は生まれながらにして死刑囚なのだ」
という有名な言葉がある。
その通り、僕らはいつか必ず死ぬし、いつ死ぬか知ることをできない。
次の瞬間に心臓発作で急死する可能性もあれば、いつもの道を歩いていたら急にトラックが突っ込んできて死ぬことも考えられる。
そういった意味では、朝が来るたびに執行宣告に怯える死刑囚たちと、誰しもが変わらない存在なのかもしれない。
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ニートになると、死を強く意識するようになる。
僕は死ぬ。絶対に死ぬ。紛れもない「この僕」が死ぬ。
そういった事実をひしひしと思い知らされる。
社会で生きている人々をばかにするつもりは決してない。
だが、学業や仕事に身を打つような生活をしていると、良くも悪くも「目の前のこと」で頭がいっぱいにならないだろうか。
そして、「社会のレール」を踏み外さない生き方をしていれば、漠然と、安心した老後と穏やかな死が待っている……と思い込んでしまう。
少なくとも、僕はニートになるまでそんな感じであった。
社会のレールから転げ落ちると(貯金も少なく将来が不安定だということも相まって)「いつか必ず死ぬ」という事実がよく見えるようになる。
まさに、社会から隔絶され、何もない部屋で、執行宣告を待つ、死刑囚のような存在である。
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ここで話題をちょっと変えてみる。
皆さんは「真の幸福」について考えたことはあるだろうか。
人間にとって本当の幸福、「真理」とも呼べるような幸福とはなんだろう。
そういったことを最近よく考えてみた。
食、寝、性、友好、自己実現……。
確かに、それらも幸福であろう。それを否定するつもりはない。
だが、そういった幸福が「絶対的なもの」かと問われると、素直に頷くことはできないように思う。
真の幸福とは、もっとこう……、どんな人間でも享受できる普遍的なものではないのか?
貧しくても、ぶさいくでも、頭が悪くても、病気であっても、感じられるものこそが「真の幸福」足り得るのではないか?
僕はそう考えてしまうわけである。
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こういうときには、分かりやすい方法がある。
それは、逆に「限界的な状況」を設定することだ。
どんなに絶望的な状況にあっても、「幸福だ!」と感じられるようなものごとを発見すればいい。
そうすれば、おのずと普遍的な「真の幸福」が浮かび上がってくるからだ。
ここで、僕が想定したいのが、「(処刑前日の)死刑囚」である。
そして、それは僕自身(ニート)の幸福の発見にも繋がるだろう。
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参考に挙げたいものが2つある。
1つ目は、コルベ神父(1894-1941)の生き様だ。
以前にも紹介したことがあるのだが、改めて引用してみよう。
(コルベ神父はポーランド出身のカトリック神父であるが、第二次世界大戦時、ナチスにブラックリストとして目を付けられてしまう。
そして、ついに1941年にはアウシュビッツ強制収容所に送られてしまうのであった)
1941年の夏、コルベ神父はアウシュビッツで強制労働に就かされていた。
ある日、同じ班の囚人から脱走者が出た。捜索しても脱走者は見つからない。
このまま見つからないと、連帯責任として、見せしめのために同じ班の中の10人が処刑されることになっていた。
翌朝、囚人は点呼を取り整列させられ、そのままの姿勢で待機させられた。姿勢を崩すと監視兵が容赦なく殴る。
罰として、炎天下で食物も水も与えられていなかった。
疲労と乾きで倒れた囚人は、監視兵によりゴミ捨て場に投げ込まれてしまった。
午後3時ごろわずかの昼食と休憩が与えられたが、再び直立不動の姿勢を強いられた。その後、脱走者は見つからず、収容所所長は無差別に10人を選び餓死刑に処すと宣言した。
息詰る時間が流れ、10人が選ばれた。
その中に、突然妻子を思って泣き崩れた男がいた。
囚人番号5659、ポーランド軍軍曹のフランシスコ・ガヨヴィニチェク。
彼はナチスのポーランド占領に抵抗するゲリラ活動で逮捕されていた。そのとき、囚人の中からひとりの男が所長の前に進み出た。
所長は銃を突きつけ「何が欲しいんだ、このポーランド人め!」と怒鳴った。
しかし、男は落ち着いた様子と威厳に満ちた穏やかな顔で「お願いしたいことがある」と言った。
所長が「お前は何者だ」と問うと、その男は「カトリックの司祭です」と答えた。
そして静かに続けた。
「自分は、妻子あるこの人の身代わりになりたいのです」。
所長は驚きのあまり、すぐには言葉が出なかった。
囚人が皆、過酷な状況の中で自分の命を守るのに精一杯なのに、他人の身代わりになりたいという囚人が現れたのだ。
その場のすべての者は呆然となった。
しばらくして所長は「よろしい」と答え、コルベ神父を受刑者の列に加え、ガヨヴィニチェクを元の列に戻すと、黙り込んでしまった。
受刑者名簿には、「16670」と書き入れられた。
コルベ神父は他の9人と共に<死の地下室>と呼ばれる餓死監房に連れて行かれた。
のちに、このときの目撃者で収容所から生還した人々は、この自己犠牲に深い感動と尊敬の念を引き起こされたと語った。
餓死監房は生きて出ることのできない場所だった。
パンも水もなく、飢えは渇きよりも苦しく、多くが狂死する。
そこからは絶えず叫びやうめき声が響いた。
ところが、コルベ神父が監房に入れられたときは、中からロザリオの祈りや賛美歌が聞こえてきた。
他の部屋の囚人も一緒に祈り歌った。
彼は、苦しみの中で人々を励まし、仲間の臨終を見送った。そして<死の地下室>を聖堂に変えた。2週間後には、彼を含めて4人が残った。
当局は死を早める注射を打つことにした。
彼は注射のとき、自ら腕を差し出したという。
このとき立ち会ったブルノ・ボルゴビエツ氏は、いたたまれず外に飛び出してしまった。
彼は囚人だがドイツ語ができたので通訳をさせられており、後日、コルベ神父の最期について貴重な証言をした。
8月14日、聖母被昇天祭の前日、コルベ神父は永遠の眠りについた。47歳だった。
亡くなったとき、彼の顔は輝いていたという。
コルベ神父について(https://kolbe-museum.com/?mode=f2)
ひとりの神父が他人の身代わりになって死んだという噂は収容所に広まり、戦後、英雄として語られていった。
コルベ神父は宗教者の生き様として、1つの完成された在り方だと思う。
なぜ、彼は死の際にさえ、顔が輝いていたのか?
それはキリスト者として、その教理(無償の愛)を全うして死んでいったからである。
そして、コルベ神父と共に祈って救われた囚人のように、宗教的な観念は、人々を普遍的に救済してくれる。
これは「真の幸福」の答え足り得るだろう。
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2つ目に紹介したいのは、カミュの小説『異邦人』の主人公であるムルソーである。
あらすじを引用してみよう。
私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。
太陽の眩しさを理由にアラビア人を殺し、死刑判決を受けたのちも幸福であると確信する主人公ムルソー。不条理をテーマにした、著者の代表作。
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。
判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。
通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
『異邦人』amazon商品ページより
なんだかこの紹介文だけ見ると、ムルソーが「サイコパス」や「冷酷無惨な人間」に思えてしまうが、読んでみるとそうではないことが分かる。
むしろ、ムルソーは「真っ直ぐに」生きているタイプの人間なのである。
(強いて言えば、アスペルガーやスキゾイドっぽいと言えばいいのだろうか?)
だが、そうした「ばか正直さ」と「偶然的な不運」が重なり、転げ落ちるように、ムルソーは不条理に死刑を言い渡されてしまうというわけだ。
『異邦人』のラストシーンにおいて、ムルソーは司祭の悔悛の勧めを強く唾棄する。
これに従えば、特赦(死刑を免れる)を得られる可能性があったのにも関わらずである。
普段は淡々としているムルソーが激情を爆発させるこのシーンはすさまじい。
ムルソーはコルベ神父とは対極的に、宗教的な救済を真正面から否定したといえるだろう。
そして、司祭を追い払い、独房で死刑執行を待つだけの身となったムルソーはこのように想う。
彼(※司祭)が出てゆくと、私は平静を取り返した。
私は精根つきてベッドに身を投げた。
私は眠ったらしかった。
顔の上に星々のひかりを感じて目をさましたのだから。
田園のざわめきが私のところまで上がって来た。
夜と大地と塩のにおいが、こめかみをさわやかにした。
この眠れる夏のすばらしい平和が、潮のようにわたしの中にしみ入って来た。
このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った。
それは、今や私とは永遠に無関係になった1つの世界への出発を、告げていた。
(中略)
私もまた、全く生きかえったような思いがしている。
あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったように、この”しるし”と星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。
これほど世界を自分と近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。
すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。
『異邦人』カミュ
なぜムルソーは幸福なのか?
それは色々と考察をすることができるだろう。
・自分に正直に生きた
・死刑という運命を受け入れた
・偽りの救済に縋るのをやめた
などである。
だが、ここで言及してみたいのは、ムルソーが東洋思想的な悟り、いわゆる「梵我一如(自分=世界)」に足を踏み入れていることである。
これは仏教的な文脈として回収することも可能であるだろう。
そういう意味では、「宗教的」と言えなくないところも面白いものだ。
ちなみに著者のカミュは、このような幸福を「小石の幸福」と語っている。 「存在とは石である。 エピクロスの語る奇妙な快楽は、とりわけ苦痛の不在にある。 それは小石の幸福だ。 エピクロスは・・・運命を逃れるために、感受性を殺すのである」 (『反抗的人間』) 「間もなく、世界の四隅に拡散され、すべてを忘れ、自分からも忘れられた私は、この風となり、風の中で、この石柱となり、このアーチとなり、熱い匂いがするこの石畳となり、ひと気のない街のまわりの青白いこの山々となる。 私は、自分自身に対する冷淡さと世界への現存との両方を、これほどまでに感じたことはない」 (『夏』)
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コルベ神父のような宗教的な救済。
ムルソー(カミュ)のような実存的な救済。
果たしてどちらが正しいのだろうか?
これに対しては明確な回答を出すことはできない。
(もしくは、「これらは実は同じものなのだ」と考えていくこともできる)
ただ、個人的な意見を述べるならば、もっとシンプルに、「世界の美しさ」について目を向けてみてもいいと思う。
どんな人間であれ、空や海を眺めて、「美しい」と感じることはできる。
こういった自然の美しさは、身分や知性に依らない、ある種の普遍性・平等性を持つのではないだろうか。
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「生きる意味とはなにか?」という問題に対しては、ある種の転回を加えることによって、解決することができる。
それは「私はこのために生まれてきたのだ!」という「瞬間」を見つけることである。
一瞬でも、そういった瞬間を見出すことができたのならば、僕たちは「土産」を持って<死>に還ることができるだろう。
たまに夕焼けを眺めていると、泣いてしまいそうになることがある。
僕は「なぜか」この世界に存在している。
この世界は「なぜか」存在している。
僕は、意味もなく、投げ捨てられたように存在している、死を待つ死刑囚である。
だが、そのような存在にも「美しさ」が与えられている。
夕日の赤さ……そういう「クオリア(感じ)」が湧き上がってくることは、神秘であり、人知を超えたものだ。
そうして、そのような「不思議さ」が頭を埋め尽くすと、もはや僕はどこにもいなくなってしまうのである。