脳内240521

最近わりと遊んでいる。

プチ旅行行ったり、ライブ見に行ったり、釣り行ったり。

相変わらずあまりお金はないが、業務委託で貰える収入があるので、まあなんとかなっている。

 

前からこのテーマには言及しているのだけど、貧乏ニート生活を実践するなら、「道」がないと厳しいな、という実感がある。

「道」というのは、宗教・芸術・競技などのことで、「道を往く」と言えば、それに全てを捧げるような在り方や態度を指す。

例えば、「めちゃくちゃ集中して作業していたら、飯を食うのを素で忘れていた」などの経験はあると思うが、人生全体がそれになるようなイメージだ。

「世間の常識や娯楽などどうでもいい。自分には『これ』が全てなんだ」と思えるような、強烈な「道」がないと、結局はシャバに取り込まれてしまうのがオチなのではないか。

実際、自分にはそういった「道」がない故に、なんだかんだまた「労働 → 金 → 快楽 → 労働」というサイクルに戻ってきてしまっている。

逆に言えば、「道」を持たない人間がニート生活や隠遁生活をしてみても、そこに広がる無限の虚無に耐えることができないのだろう。

速く進んでいる自転車やバイクは倒れにくいというジャイロ効果があるが、普通の人間は基本的に「労働→金→快楽サイクル」をうまく回して人生をやっていくしかない。

もちろん、「フリーターやりつつ、やりたいこと(道)をやる」というやり方もあるのだけど、そういう生き方は無難で楽そうに見えて、運用がかなり難しい。

労働要素があると、「道」の活動にノイズや中断が入りがちで、結局どちらも中途半端になってしまいがちだ(そして、なんだかんだ労働に取り込まれる)。

【1】「道」を往く。結果的に「面白い」「ありがたい」「応援したい」でお金が貰える
【2】フリーターしつつ、やりたいことやる。「道」の収入もあれば、労働の賃金もある
【3】普通にフルタイムで働く。「労働 → 金 → 快楽」で人生を回す

 生き方的には、このどれかになってくるように思う。

(正確には【2】を実現させる場合、【1:道に専念】~【3:労働に専念】の無数のグラデーションの中から、自分に適したものを組み上げないとならない)

 

釣りに行ったときに、久しぶりに高校の友人と話した。

仮に友人のことをAとするが、昔からAは明らかに「社会でやっていけなさそう」なやつなのである。

(アクティブ系ADHDみたいな人間を想像してもらえるといいかもしれない)

だが最近は、サラリーマンをやめて自営業として生活しているらしい。収入もそこそこにあるようだ。

詳細を述べるのは避けるが、Aはある品物の超マニアで、そのコレクションを売買していたら、仕事になっていったという感じである。

 

ここで、先ほどのトピック①に戻ってみると、Aは【1】の「道を往く」にも、【3】の「労働 → 金 → 快楽サイクル」にも当てはまっているように感じた。

おそらく、自分にとっての遊びがお金になると、ハイブリッド型の生き方が可能になるのだろう。

資本主義と相性のいい「道」を持っている人は、「遊び → 金 → 快楽 →もっと遊ぶ」のスーパーサイクルを回すことができる。

 

この前、Aが大阪旅行に行ったとき、1泊2日で飛田新地に3回行ったという話を聞いてめちゃくちゃ笑ってしまったのだが、別にそういう生き方をしている人も嫌いじゃない。

ひたすら思うがままに欲望のサイクルを回し続け、燃え尽きるように死んでいけばいい。

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