社会不適合者がしんどい理由は非常にシンプルなものである。
「無理に社会に適合しようとしているから」だ。
まずは「自分」という存在を第一に考えると良い。
それから「社会というシステムを必要な時だけ利用してやる」ぐらいのスタンスで生きればよいのだ。
結論として言いたい事はこれだけなのだが、記事が終わってしまうので、自身のエピソードを例に絡めて、もう少し語っていこうと思う。
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【朝に弱くて、寝るのが好き】
僕は寝るのが好きだ。
そして、アラームが嫌いだ。
特に冬の早朝は最悪である。
ただでさえ眠くてしんどいのに、寒さによりあらゆる行動のストレスが増大される。布団から出る時の苦痛は異常だ。
楽しい予定ならまだしも、学校/職場に向かうというネガティブな理由の為に、何故多くの人が耐えられるのだろうか。
玄関を開ければ手足はかじかみ、満員電車に乗れば、人混みと暖房と結露による独特の気持ち悪さに苛まれる。目的地にたどり着いても苦行の始まりだ。
うーん、思い出すだけでしんどくなってきた。
一般的なサラリーマンとして定年まで働くのならば、人生のおよそ5/7はアラームによる早起きが必要になる。
最悪な気分で起床するという事は、1日の始まりが最悪という事だ。(その後に労働が存在するという理由も含めて)
そんな生き方、何かが間違っていないだろうか。
空気がうまい所に住みたい。
毎日、自然と目が覚めて、窓を開け、「今日もいい1日だなあ」と言いたい。
そんな感じじゃ、ダメですかね。
ちなみに自分はバイトを夕方or準夜勤にしか入れていない。基本的に目覚ましとは無縁の生活である。
確かに早起きすると1日が充実するというのは分かっているのだが、なんだかんだ深夜中心の生活になってしまうので、そういう体質なのだろう。
そもそも「寝る」という行動は誰にも迷惑をかけずに幸せになれる行為だ。お金もかからないし、健康にも良い。
こんな優れた行為を人生の主体に組み込まないのは明らかに編成ミスである。
金も地位も名誉もいらない。まず、寝ていたい。
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【だるくて、働きたくない】
昔から体力の無い人間だった。
ここでいう体力とはスポーツ的なスタミナというより、精神的なものである。
HPというよりはMPに近いかもしれない。
現在ではHSP(繊細さん)という言葉が流行っているが、おそらくそれだろう。
あらゆるものを過敏に捉えてしまうため、人一倍メンタルの消耗が激しいのだ。
でも、現代社会でHSPを名乗るのは難しい。
そして、なんだか恥ずかしい。
「僕、ハイリー・センシティブ・パーソンなんですよっ」
「………」
そもそも、現実でHSPをカミングアウトしたところで特別に待遇が変わる訳でもない。病気や障害に認定されている訳ではないからだ。
「繊細」を自称する変わった奴に思われてしまうのがオチだろう。
「『発達障害グレーゾーン≒HSP』ではないか?」と言われているが、ギリギリ層の苦しみというものは確かに存在すると思う。
本題に戻ると、つまりは「疲れやすい」ということであり、僕にとって「8時間労働+α」は非常にしんどい。
もちろん、不可能ではない。やろうと思えばできる。
だが、それは「無理をすれば、できる」という事であり、毎日やるようなものではない。
1日に使うエネルギーは65%ぐらいが理想だ。毎日フルスロットルで稼働していたら、すぐに限界がきてしまう。
それに、僕はそんなにお金が欲しい訳ではない。
もちろん、生きていく為にある程度のお金は必要だけど、基本的に贅沢をしたいとは思わない。
思ったとしても「贅沢する為に働く」と「ゆっくり寝て過ごす」を比較すれば、自然と欲は薄れていく。
「快楽を求めるのではなく、不快を避ける」、それが僕のスタンスだ。(エピクロスの『快楽主義』)
必要以上に働くのではなく、穏やかな時間を大切にしたい。
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【嘘を付かず、自分らしくいたい】
ニートは自己肯定感が低いと思われがちだが、僕は意外とそんな事はない。
自分の事は結構好きだ。なぜなら、嘘を付かずに真っ直ぐ生きているから。
例えば、就活なんかは嘘だらけだ。どれだけ自分を嘘で塗り固められるか?という場でもあるかもしれない。
もちろん、企業側もある程度そんな事を把握しているのは分かっている。「嘘つきゲーム」も含めて、どれだけうまく立ち回れるかを見ているのだろう。
うーん、これまた自分には無理だ。
やりたくない事の為になりたくない人間になる。そんな生き方をして気持ちのいいはずがない。
その辺りも含めて「大人になる」と言われているのかもしれないが、それってどうなのだろう。
大多数の人々がそのような選択をしている為に、後にも引けず、「働く事が大人なんだ」と自己暗示も含めて圧迫をかけているように思えなくもない。
自分は客観的に見れば貧困フリーターであるけど、その辺でなんとなくサラリーマンをしている人に比べたらよっぽど自己肯定感が強い自信がある。
なぜなら、偽りの無い人生を自分自身で選択しているからだ。
もちろん、やりたい事を仕事にしている人。または、仕事がそれほどストレスでもなく、休日や趣味で人生が充実しているような人は、正社員として働いた方が良いだろう。
正規雇用と非正規雇用で、給料や信用は大違いだ。
それでも、ひたすら最悪な朝を迎えながら、嘘をつき続けるような生き方に疑問を抱く人は、一度自分の人生についてじっくり考えてみるのもいいかもしれない。
別に「ニートvsサラリーマン」がやりたい訳ではない。就労の有無や雇用形態など、心底どうでもいい。
「本当に自分のやりたい事は何か?」
「自分にとっての幸福とは何か?」
全員がそういった事を熟考した上で人生を選択した方が幸せになれるだろう、という提案にすぎないのだ。
まずは自分第一、そして必要ならば労働というシステムを利用すればいい。
我々は別に仕事をする為に生まれてきた訳ではない。
社会不適合者は「適合」なんてやめてしまおう。
無理に自分を殺してしまったら、それはもう自分ではないのだから。