書くことがないので、たまには昔話でもしようと思う。
大学3年生、夏休みも終わろうとしていた9月頃、学科のO君とM君という友人からこんな連絡が来た。
「自転車で旅でもしねえ?」
特にすることもなく、暇をしていた僕は「いいね」と乗り気の返事を出したのである。
(それが地獄の始まりだとも知らずに……)
東京近郊に住んでいた僕らは、東京を出発地点として、東京→群馬(1日目)、群馬→長野(2日目)、長野→長野奥地(3日目)というスケジュールを組んだ。
1日、約120kmほど進む計算で、宿泊はスーパー銭湯やネットカフェを利用する。
そして、自転車での旅というとロードバイクに乗るようなイメージがあるが、僕らは貧乏学生故に、ドンキホーテで1万円ぐらいで売っているような折り畳み自転車を使った。
あまりイメージが湧かない人がいるかもしれないが、これらはメチャクチャキツイ。
特に、普段から運動をしている人はいいかもしれないが、僕のようにいつも部屋にひきこもっているようなタイプには、ハードコアすぎたのである。
まず、それを実感させられたのは1日目だった。
一言で言えば、永遠に群馬に到着しない。関東平野は無限に続き、高崎へ続く国道17号線は終わりを見せない。
「僕は何をしているんだろう」「ぶっちゃけもう帰りたい」
そんなことをずっと考えていたが、今更帰ることもできない。いつまでもペダルを漕ぎ続ける。
夜になり、なんとか宿に到着した僕は風呂に入り、気絶するように眠りについた。
しかし、本当に”死にかけた”のは2日目であった。
2日目は起きた瞬間から身体がガタガタだった。手足は痛く、尻もサドルの跡が痛む。
なんだか食欲の湧かなかった僕は、あろうことにまともに飯を食べなかったのだ。
これが非常に大きなやらかしミスであった。
旅路は碓氷峠(うすいとうげ)という峠に差し掛かった。
ここは群馬と長野の境にある峠であり、ぐねぐねとした山道を10kmほど(だったかな?)進む。
この時、僕は身体の異常に気付いた。
「疲れた」とか「根性が足りない」とかの問題ではなく、身体がうまく動かないのである。
これはハンガーノックと呼ばれる症状だ。
体内の糖分を使い切ってしまい、低血糖症になり、身体が動かなくなるのである。
(車で言うならば、ガソリン切れの状態だ)
それ故に、きちんとしたサイクリストはしっかりと食事をとり、栄養補給を欠かさないのだが、アホ学生であった僕はそんなことを知らずに倒れかけていたのだ。
ただ、ハンガーノックという症状については後から知ったが、なぜ不調になっているかは当時でも直感的に分かった。エネルギー不足であると。
しかし、第二の不幸(というかマヌケ)として、僕は食糧を持っていなかった。
M君やO君に聞いてみても、水しか持っておらず、唯一あったのは何となくコンビニで買ったメントスだけだったのだ。
とりあえず、メントスを食うことでギリギリ持ちこたえる。いや、本当にメントスがなければ、救急車騒ぎだったかもしれない。
更に、第三の不幸として、大雨が降ってくる!
9月下旬、山奥の雨は容赦なく体温を奪い、峠越えを絶望させる。
もはや、ペダルを漕ぐことはできず、全員で暗闇の中、自転車を押して進んだ。
体力は無くなり、身体は凍え、僕は表現や比喩などではなく、本当にこう思った。
「これ、ホントウに死ぬんじゃないか?」
そこには、リアルな”死”の体感があったのである。
しかし、その苦痛の中で、僕は突如悟った。
「あれ? ……つらいのって、つらいだけで、『僕』には関係ないんじゃないか?」
そう、つらいのは「つらいだけ」なのである。確かに、苦痛や恐怖は存在するが、それは「僕」には関係のない話なのだ。
僕がやるべきことは、ただ、自転車を押して進むことである、と。
(今でこそ、僕は仏教哲学の話をしたりするが、この頃はなにもそういう教養がなかった。
それなのに、こういった結論に勝手に至ったのは、振り返ると笑ってしまう)
こうして、プチ悟りパワー(?)で僕は進んだ。心を無にして進んだ。
どのぐらいの時間が経ったかは、もはやよく分からなかったが、なんとか碓氷峠を越えて、軽井沢駅が見えてきた時は、遭難から生還したかのような感動を覚えたのものである。
そして、これも思い出すと笑ってしまうが、僕はマクドナルド軽井沢店でチーズバーガーを5つ食べた。誇張抜きで。
別に大食いだった訳ではない。ただ、生きる為に必要だったのである……。
今でもマクドナルドのチーズバーガーを見ると、碓氷峠がフラッシュバックするものだ。
(メントスのグレープ味も若干フラッシュバックする)
その後、なんとか無事に旅は終了したが、僕はしばらく旅の間「つらいのって、つらいだけだからっ」と言いまくっていたので、O君とM君にはウザがられた。
みなさんも、徒歩旅やサイクリング旅をするときはしっかり飯だけは食べるように!
(おわり)