『人はなぜ働かなくてはならないのか』という本を読んだ

■ 人はなぜ働かなくてはならないのか

この前、図書館に行ったらタイトルの本がたまたま目に付いた。

もちろん、「人はなぜ働かなくてはならないのか」と述べているということは、著者の中に「人は働くものだ」という前提的な主張があるのだろう。

果たしてどんなことを言っているのか。気になったので、借りて読んでみた。

 

■ もくじ

本の構成は全10章で、そのうちの第4章が「人はなぜ働かなくてはならないのか」となっている。

全て紹介はしないが他の章はこんな感じ。

① 思想や倫理は何のためにあるのか
② 人間にとって生死とは何か
③ 「本当の自分」なんてあるのか
④ 人はなぜ働かなくてはならないのか
⑤ なぜ学校に通う必要があるのか
⑥ なぜ人は恋をするのか
⑦ なぜ人は結婚するのか
⑧ なぜ「普通」に生きることはつらいのか
⑨ 国家はなぜ必要か
⑩ 戦争は悪か

 

■ 要約

それでは、ざっくり内容をまとめていく。

まず思い浮かぶもの
→「食っていくために働いている」
そうすると、対偶の「食うことが満たされるなら、働かなくてもいい」が成立することになる。
(ただ、実際の現代社会において、「食っていく」とは「文化的な生活」を送ることであるだろう)
では、一生遊んで暮らせる金があれば人は働かないのか?
→「贅沢をして暮らす」「新しい事業を始める」
「趣味を追究する」「ボランティアする」「全額寄付する」
いろいろな意見があるだろう。
だが、ビルゲイツ、タイガーウッズ、イチローなどの大金持ちも、贅沢はすれども、結局「何か」に打ち込んでいる。
これは金持ちのドラ息子や世襲貴族の場合でも同様である(文学、哲学、芸術的な営み)。
ならば、「好きな仕事に就く=人生の充実」だから働くのか?
いや、全員がそのような仕事に就けるわけでないし、実際好きなことをやってみても、嫌な面は現れてくる。
この答えは充分ではない。
それでは、「労働は美徳だから」という「モラル」の問題なのか?
いや、道徳によって勤労を義務付けると、かえって強制感と抑圧感をもたらすことになる。
著者いわく、道徳は社会の混乱を避けるために考案された「二次的な知恵」であり、絶対的な「教理」ではない。
以上から
「人は働くことが好きなのだ」といった欲望論的解釈や
「労働は美徳であるからだ」といった道徳観念が
人々の「働きたい」や「働くべきだ」を支えているわけではないことが分かる。
なぜ人は働くのか?
 
この問いに対する著者の主張
→「労働の意義を根拠付けているのは、私たち人間が、本質的に社会的な存在であるという事実そのものである」

① 私たちの労働やサービスは、自分自身に限らず、同時に「だれか他の人のため」という規定を帯びている
② そもそもある労働を行うためには、他人の生産物やサービスを必要とする
③ 労働こそまさに、社会的な人間関係それ自体を形成する基礎的な媒介である
→「労働は、1人の人間が社会的人格としてアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである」
ヘーゲル(1770-1831、哲学者)は以下のように語る。
「金持ちが慈善行為をするよりも、その金を使って物を買うことの方が、他者の労働価値(すなわち人間的な価値)を認めたことになるので、ずっと"道徳的"だ」
 
著者のまとめ
「人間は、自らを一個の人間として自己承認するためにこそ、共同体の相互連関の中に自己を投げ入れ、そこから帰ってくる他者の承認の声を受け取る必要があるのである」
ただし、「金銭」だけが「他者の承認の声」ではない。
・家庭での家事
・友好関係
・ボランティア
など……。
→「要するに、人間は様々な身体の表出(行動)を通じて互いに支え合うという形を取る以外に、人間としての条件を全うできないように作られているのである」

(おわり)

 

■ 感想1

どうだっただろうか。

個人的な意見としては、すごい真っ当なことを言っているなーと思った。

正直、中途半端なことが書いてあったら鼻で笑ってやろうと考えていたのだが、僕は概ね著者の言う通りだと思う。

最近出したエッセイ集でも書いたのだが、人間はひたすら働かないで引きこもっていると、アイデンティティの喪失というか、自分が自分である根拠が分からなくなってきて、頭がおかしくなってくるのだ。

(↑「お前ニートの才能ないな~。オレは余裕だが?」という人は、「おもしろニート」として社会的なアイデンティティを確保しているだけである)

 

結局、「自称ニート」とか「働かないで生きている」みたいな人々も、ネットに文章や動画を投稿して「働いている」よなーと思う。

まさに、こうやって僕がブログを書いているのも、ある種の「仕事」であり、それは「自己の投企」と「他者の承認待ち」なのだろう。

 

別の方面から語れば、「人間は醜い」「この世は最悪だ」「ずっと孤独でいたい」などと言う人も、それを投稿している時点で、ある種の「交流」を求めているように思う。

自分にそういった厭世的な側面がないわけではないからよく分かるものだ。

 

とどのつまり、人間は真の孤独には耐えられないのだろう(もしくは真の孤独者は観測できない)。

 

■ 感想2

本全体を通じて思ったのだが、著者は保守的・共同体主義的な思想が強いのだな、と感じた。

ある部分で「ハイパー個人主義者」なるものを批判しているのだが、そこを引用してみよう。

この思想は、象徴的に言うなら、「おれはたまたま日本に生まれただけで、別に日本人であることを意識しなくても一人の人間として、世界を渡り歩いていけるので、みんなそうなればいいのさ」という、極めて抽象的な個人主義ないしは個人感情を土台としている。そこには、個人の人格というものが、もともとこの複雑な人間社会の構造が生み出すさまざまな制約の関係を引き受けることにおいてはじめて成立するという自己認識が決定的に欠落している。

第10問 戦争は悪か

ハイパー個人主義者たちは、自分の生存や権利が何によって支えられているかという考察を抜きにして、一気に自分たちの主観的感情を社会思想に結び付けうるという錯覚に陥っているのだ。その錯覚を無意識に支持しているのは、じつは、「家族や社会組織や国家といった中間項は、個の欲望の実現を阻む悪いものである」という粗雑な反体制意識に他ならない。

第10問 戦争は悪か

うーむ、まさに自分は「ハイパー個人主義者」であるので身につまされる話である。

自分はどちらかといえば左巻きの人間だと思っていたのだが、もしかしたら「保守的な思想の方がまとも」という意識がどこかにあるのかもしれない。

 

■ 感想3

しかし、かといって、僕は「結局まともに働くのが人生の正解だ」とは思わない。

定年まで週5の8時間労働生活→なんのために生きているのか→絶望→死

孤独に引きこもり働かない生活→アイデンティティの崩壊→絶望→死

である。

 

これらを避けるためには

「最低限だけ働く」「好きなことでお小遣いを稼ぐ」「ニートやフリーターで交流を持つ」

辺りがバランスの良い落としどころになってくると思うが、そういった在り方にも問題やトラブルは発生するものだ。

 

果たして、働きたくない人はこれからどうしていけばいいのだろう。

うーむ、これは個人的な永遠の課題である。

 

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